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生没年不詳。バビロン第1王朝第6代の王。在位、前1792~前1750年。前1763年にメソポタミア南部を統一したあと、周辺各地に遠征してひろげた領土は、数年のうちにペルシャ湾から北はティグリス、ユーフラテス両川の河谷地帯まで、西は地中海沿岸にまで達した。長い治世中に灌漑(かんがい)事業、農業、納税など王国の基盤をかためる事業や制度をととのえ、また多くの神殿建築もてがけた。
彼の業績でもっとも注目されるのはバビロニア人の生活を支配する法律を制定したことである。このハンムラピ法典は、石碑に楔形文字できざまれ、282条からなっている。古くからのシュメール法や慣習法を集大成し、今日でいう民法、刑法、商法、訴訟法などを内容とし、具体例をあげて判定の基準をしめしている。「目には目を、歯には歯を」の同害復讐(ふくしゅう)を特徴としているが、それが実際に適用されたかどうかの確証はない。