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| I. | プロローグ |
「民主主義は、決して単なる政治上の制度ではなくて、あらゆる人間生活の中にしみこんでいかねばならないところの一つの精神なのである。それは人間を尊重する精神であり、自己と同様に他人の自由を重んずる気持ちであり、好意と友愛と責任感とをもって万事を貫く態度である。この精神が人の心に広くしみわたっているところ、そこに民主主義がある。もしも民主主義がつくられるものであるとするならば、民主主義は人びとの心の中でつくられる。それを求め、それを愛し、それを生活の中に実現していこうとする人びとの胸中こそ、民主主義のほんとうのすみかである。」
この文章は1948年(昭和24)に文部省から発行された中・高校用教科書「民主主義」の一節である。ここで強調されているのは民主主義的人間の完成であって、制度による民主主義の保証ではない。つまり、ここで想定されている人間像は、自律性をもった個人であり、その自律性は自由な思考と行動によって表現され、したがって人間の相互作用は自律と自由を相互に保証する精神と態度によって生活秩序を創造するものとされている。そこでの含意は、自律と自由を道徳的価値として内蔵する点で、人間は平等であり、そうした徳性をもつ人間への尊敬・友愛が成立するという意味で、民主主義の人間世界への期待がみなぎっている、というべきであろう。
こうした普遍性をもった民主主義の理念が成立したのは、比較的最近のことに属する。たとえば、古代ギリシャでは、それは君主制、貴族制とならぶ国家統治の一形態であり、人民の権力を意味するものとして、むしろ否定的に論じられる場合が多かった。民主主義が肯定的・積極的な意味をもつにいたったのは近代市民革命をへて、19世紀から20世紀前半にいたる期間に展開された、政治世界への民衆参加の闘い、そしてその結果として発現した普通選挙制による民衆の自己実現の過程であった。
いいかえれば、政治から排除されていた多数の人間が、それぞれの運命決定をにない、その決定の結果を自己責任とする確信の表明そして相互承認が、人間の歴史に刻印されねばならなかったのである。
| II. | 支配の原理としての民主主義 |
普通選挙制の普遍化によって、民主主義は支配の正当性原理としての法の支配を基盤として、政治権力者が自分の地位および政策の正当性を立証するシンボルとなった。だが、民衆の政治参加は、かつて民主主義を衆愚政治そして専制政治にいたる可能性をもって否定的にとらえていた事態を現実のものにもしたのである。
たとえば、アメリカの大統領W.ウィルソンは第1次世界大戦を「民主主義のための戦争」と規定したが、戦後世界秩序であるベルサイユ体制は、国際連盟の不徹底性や苛酷な敗戦国に対する賠償金徴収などによって、人類に平和への希望を確信させることはできなかった。民主主義はここでは、民族自決原理の提唱とむすんでナショナリズムの高揚をもたらす一方で、民主主義の実験としての敗戦ドイツのワイマール共和国の崩壊を生みだした。
明日に希望をつなぐことができなくなった限界状況の人間は、自由の放棄という代償をしはらっても今日を生きのびなければならない。つまり、ベルサイユ体制は、敗戦国民が人間として再生する条件としての生存権・生活権に配慮することが少なかった、制裁の世界秩序だったのである。
100%不確実な人生を人間は生きることはできない。その対極の100%確実な人生を保証する幻想を高唱したナチズムが、合法的手続きとしての民主主義を逆手にとって登場する、いわば草の根民主主義が登場する真空地帯がそこにあったのである。
他に優越する民族としての自負と戦争国家としての自立は、個人の自律性を全面的に否定し、民族・国家の使命と同一化することで完成する。ファシズムは、民主主義の難問である個人間の連帯のつなぎ方を一挙に解決したかにみえたかもしれない。
同時にファシズムは、反共産主義を強調することによって先進諸国に同調者を生みだした。つまり、国際共産主義に対抗する反共国際運動の側面をもっていたのである。
だが、自民族優越主義と戦争国家との結び付きは、第2次世界大戦によって決着をみ、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが主唱した、宗教の自由、言論の自由、恐怖からの自由、欠乏からの自由の「4つの自由」を核とする戦後世界が構想されたのであった。
第2次世界大戦は、運命の自己決定権をうばわれ、あるいは放棄した人々を解放するとする大義をかかげた、世界を二分する戦いであった。大日本帝国がその本質は帝国主義的支配の拡大であったにもせよ、東亜(アジア東部)の解放をとなえる政治的舞台は両大戦間期世界には存在したのである。アジア、アフリカ、ラテンアメリカの植民地ないし半植民地には、民族解放と独立の正当性をみとめる時代精神がひろく存在した。
同時に、この解放から独立へとむかう旧植民地国家に対して、それぞれ自国流の民主主義の正統性を主張するアメリカとソ連の覇権争いが表面化し、それはやがて朝鮮戦争、ベトナム戦争へと激化していった。第2次世界大戦という人類史的大犠牲をはらっても、社会主義的民主主義と自由主義的民主主義との間の冷戦体制が、ふたたび各国を通常兵器はもとより核兵器による軍備競争においやった。
| III. | 自由の実現と民主主義 |
だが、戦後の正義としての解放、そしてその実現としての民主主義は、戦後民主主義の旗手アメリカでより深化する機縁をつくりだした。黒人公民権運動である。その指導者キング牧師は、インド独立の指導者マハトマ・ガンディーの精神を継承して非暴力直接行動に徹した。この運動は人間の尊厳を自覚し、これを実現するための精神の変革を追求するものだったが、そのためには平等であることが必要であり、平等の獲得には自由がかちとられなければならなかった。いわば自由と平等はセットになった民主主義の価値ではなく、自由が平等に優先するという点に解放の問題が明らかになったのである。
その認識はベトナム反戦、そして若者の反乱の1960年代により鮮烈になる。「民主社会をめざす学生組織」は、「ポート・ヒューロン宣言」において、参加民主主義の確立を主張している。それは国益の名によって、すべての国家活動が容認される政治体制に対する抵抗であり、多数決原理による間接代表民主主義への異議申し立てである。この実現は夢ではない。たとえばベネルクス諸国にあっては、多極共存型民主主義として、多数決主義でない合意形成方式が現実に存在している点に民主主義の多様性が確認されるのである。
民主主義は主権国家の中にとりこまれていた。中東欧社会主義諸国での民主化の問題は、国家から社会をはぎとり、社会を民主化する意味をおしえた。同時に、環境、資源などの問題は、全地球規模で民主主義を考えることを人類に要請している。
→ 直接民主主義