民主主義
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民主主義
II. 支配の原理としての民主主義

普通選挙制の普遍化によって、民主主義は支配の正当性原理としての法の支配を基盤として、政治権力者が自分の地位および政策の正当性を立証するシンボルとなった。だが、民衆の政治参加は、かつて民主主義を衆愚政治そして専制政治にいたる可能性をもって否定的にとらえていた事態を現実のものにもしたのである。

たとえば、アメリカの大統領W.ウィルソンは第1次世界大戦を「民主主義のための戦争」と規定したが、戦後世界秩序であるベルサイユ体制は、国際連盟の不徹底性や苛酷な敗戦国に対する賠償金徴収などによって、人類に平和への希望を確信させることはできなかった。民主主義はここでは、民族自決原理の提唱とむすんでナショナリズムの高揚をもたらす一方で、民主主義の実験としての敗戦ドイツのワイマール共和国の崩壊を生みだした。

明日に希望をつなぐことができなくなった限界状況の人間は、自由の放棄という代償をしはらっても今日を生きのびなければならない。つまり、ベルサイユ体制は、敗戦国民が人間として再生する条件としての生存権・生活権に配慮することが少なかった、制裁の世界秩序だったのである。

100%不確実な人生を人間は生きることはできない。その対極の100%確実な人生を保証する幻想を高唱したナチズムが、合法的手続きとしての民主主義を逆手にとって登場する、いわば草の根民主主義が登場する真空地帯がそこにあったのである。

他に優越する民族としての自負と戦争国家としての自立は、個人の自律性を全面的に否定し、民族・国家の使命と同一化することで完成する。ファシズムは、民主主義の難問である個人間の連帯のつなぎ方を一挙に解決したかにみえたかもしれない。

同時にファシズムは、反共産主義を強調することによって先進諸国に同調者を生みだした。つまり、国際共産主義に対抗する反共国際運動の側面をもっていたのである。

だが、自民族優越主義と戦争国家との結び付きは、第2次世界大戦によって決着をみ、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが主唱した、宗教の自由、言論の自由、恐怖からの自由、欠乏からの自由の「4つの自由」を核とする戦後世界が構想されたのであった。

第2次世界大戦は、運命の自己決定権をうばわれ、あるいは放棄した人々を解放するとする大義をかかげた、世界を二分する戦いであった。大日本帝国がその本質は帝国主義的支配の拡大であったにもせよ、東亜(アジア東部)の解放をとなえる政治的舞台は両大戦間期世界には存在したのである。アジア、アフリカ、ラテンアメリカの植民地ないし半植民地には、民族解放と独立の正当性をみとめる時代精神がひろく存在した。

同時に、この解放から独立へとむかう旧植民地国家に対して、それぞれ自国流の民主主義の正統性を主張するアメリカとソ連の覇権争いが表面化し、それはやがて朝鮮戦争、ベトナム戦争へと激化していった。第2次世界大戦という人類史的大犠牲をはらっても、社会主義的民主主義と自由主義的民主主義との間の冷戦体制が、ふたたび各国を通常兵器はもとより核兵器による軍備競争においやった。