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| I. | プロローグ |
マヤ語系の言語を話す中央アメリカの先住民集団の総称。現在は、メキシコのベラクルス、ユカタン、カンペチェ、タバスコ、チアパスの各州のほか、グアテマラのほぼ全域とベリーズやホンジュラスの一部地域に分布している。もっともよく知られているのがマヤ人であり、おもにユカタン半島にすんでいる。そのほかにはベラクルス州北部のワステカ人、タバスコおよびチアパス州のツェルタル人、チアパス州のチョル人、グアテマラの高地地方のキチェー人、カクチケル人、ポコムチェ人、ポコマン人、グアテマラ東部およびホンジュラス西部のチョルティ人などがいる。ワステカ人だけはやや離れているが、それ以外の人々は隣接した地域にすむ。かつてそこにさかえた古代マヤ文明は、アメリカ大陸でもっとも発達した文明だった。
スペイン人が渡来するまでは、トウモロコシを主作物とする農業がマヤ経済の基盤をなしていた。そのほかにはワタ、豆、カボチャ、マニオク(キャッサバ)、カカオなどを栽培していた。犬と七面鳥をかっていたが、荷物をはこぶ家畜はもたず、車輪をもちいた運搬手段はなかった。染色と織物に高度の技術をもち、土器芸術は、ペルーの古代アンデス文明とともに、新大陸で最高の水準にあった。物の交換には、カカオ豆と銅の鈴が貨幣がわりにつかわれていた。銅は装身具にも利用された。金、銀、ヒスイのほか、貝や鳥の羽根も装身具としてもちいられていた。しかし、鉄は利用されなかった。
→ アメリカ先住民
| II. | 建築 |
古代マヤ文明は、すばらしい建築をのこした。パレンケ、ウシュマル、マヤパン、コパン、ティカル、ワシャクトゥン、チチェン・イッツァなどの大遺跡が知られている。その多くは宗教儀式のための巨大なセンターで、広場をかこむようにしてピラミッド建築などが配置されていた。
マヤのピラミッドは何段もの基壇構造をつみかさねたもので、急傾斜の階段がもうけられていた。ピラミッドの内部は土と砂利でできており、漆喰(しっくい)もつかわれた。表面には切石をはり、化粧漆喰で仕上げがなされることもある。入口の梁(はり)の部分には木材がつかわれ、木彫りの彫刻もある。本格的なアーチ構造ではないが、両側の石積み壁の上部を少しずつ張りださせ、天井部分であわせる持ち送り式アーチを採用していた。この方法では壁があつくなり、内部空間もせまくなる。ほとんどの場合、窓もない。建物の外壁は、彩色された彫像、化粧漆喰の像、石彫、石のモザイクなどでかざられた。
一般の人々の家は、アドベ(日干し煉瓦)や木の枝を利用したもので、現在のマヤ社会にみられるような簡単な構造だった。
| III. | 文字 |
古代マヤ文明は文字を考案し、人々は石碑や石の階段などに神話や歴史をきざんだ。マヤ文字は石碑だけではなく、樹皮などを利用した折りたたみ形式の本にものこっている。これらは絵文書とよばれ、4冊だけがこんにちまでつたえられている。ドレスデン絵文書、ペレス(パリ)絵文書、トロ・コルテシアノ(マドリード)絵文書、グロリア絵文書である。これらの書物には、農業、狩猟、天候、病、天文などについてかかれており、暦をもとにした占いのためにつかわれていたようだ。
| IV. | 宗教 |
マヤの人々は多くの神々を信仰していた。一般の人々の儀礼では、とくに雨の神チャクが重要だった。最上位の神は天の神イツァムナーと創造の神ククルカンである。ククルカンはトルテカやアステカの神ケツァルコアトルと関係がある。マヤの宗教でもっとも重要な特徴は、神が時間を支配しているという観念である。さだめられた期間を特定の神が交代で支配し、その神が同じ期間、人々の行動も支配すると考えていた。また、マヤではひじょうに複雑な暦のシステムが発達していた。
| V. | 歴史 |
マヤ文明の形成期は前1500年ごろにさかのぼる。最盛期は後300~900年で、古典期とよばれている。この時期、パレンケ、ティカル、コパンなどの大祭祀センターがきずかれた。
後古典期になると、マヤ文明の中心はユカタン地方にうつった。この時期のマヤ芸術は、メキシコ中央部のトルテカ文明の影響が顕著にみられる。メキシコ系の人々がマヤの地を侵略したか、移住してきたと考えられている。後古典期の前半はチチェン・イッツァが中心であり、その後、中心はマヤパンにうつったが、やがて分裂をくりかえし、マヤパンも放棄されてしまった。16世紀にスペイン人が到来したときには、もはや強大な国家はなく、征服はたやすくおこなわれた。しかし実際には、そのあともマヤの抵抗運動はしばしばおこり、独立を主張する村々をメキシコ政府が掌握したのは1901年のことだった。