| 検索ビュー | 石油 | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
天然に地下から産出する原油(crude oil)および原油を精製してえられるガソリンや軽油、重油、灯油などの液体燃料、潤滑油(→ 潤滑剤)、アスファルト、ナフサなどの石油化学製品を総称して石油という。原油は、液状の炭化水素を主成分とし、少量の硫黄、酸素、窒素化合物、微量の金属化合物などをふくむ混合物である。
原油からつくられる各種の石油化学製品は、近代以後、エネルギー源として、また化学工業の出発原料としてもっとも重要な資源であり、近代工業は、さまざまな石油化学製品の生産によって大きく成長してきた。資源として豊富であり、価格がやすく、便利なことが、現代社会に多様な恩恵をもたらしたといえる。しかし近年、石油の利用は世界じゅうでしだいにへりつつある。それは埋蔵量が減少し、供給不安が広がっているためばかりでなく、石油製品の燃焼や石油化学製品がもたらす地球環境へのさまざまな影響と関係している。→ 地球温暖化:温室効果ガス:大気汚染
| II. | 石油の成因 |
石油はカンブリア紀以降の地層、主として古生代の石炭紀、中生代の白亜紀、新生代の第三紀に属するさまざまな地質時代の地層から産出する。だが、その約60%は、2億4500万~6500万年前の中生代とよばれる時代の地層からのものである。石油が何からどのようにできたかについては、19世紀初め以来、有機(生物)起源説と無機(非生物)起源説とが対立してきた。
当初有力だった無機起源説は、たとえば炭酸ガス(→ 二酸化炭素)とアルカリ金属の接触、カーバイドと水との反応など、地下の無機化合物が石油の成因だというものだが、現在では多くの反証があり、否定されている。一方、有機起源説は動植物を石油の起源と考えるもので、その決め手のひとつは、生物のヘモグロビンや葉緑素(クロロフィル)の誘導体であるポルフィリン類、コレステリン、カロテン(カロチンとも)、テルペンの誘導体などのように光学活性をもつ生物由来の有機化合物が微量ながら石油の中にふくまれていることである。
現在もっとも有力な有機起源説は、古代の海生動植物、とくに熱帯の海に生息していたプランクトンや藻類などの死骸(しがい)が海岸線に近い海底に土砂とともに堆積(たいせき)し、これが石油のおもな成因となったとする考え方である。この説によれば、まず堆積物にふくまれる有機化合物中の酸素が嫌気性細菌の作用で除去され、石油質の母体を形成した。これが地中層に浸透して、地熱、地圧、地下鉱物の触媒作用(→ 触媒)などによってしだいに石油に変化したのち、地中層を移動して岩石化した油母頁岩(オイルシェール:→ 頁岩)中に集積し、今日の石油鉱床を形成したとされる。
| III. | 原油の産状、組成と性状 |
地下から採取されたままの原油は、一般に黒褐色または黒緑色の粘り気のある油状物質で、多少の泥水や塩分をふくんでいる。原油の主成分は、炭素原子数5~40程度の複雑な各種炭化水素化合物だが、ガス状炭化水素(湿性天然ガス)もとけこんでいる。世界じゅうに分布する原油にふくまれる元素は、炭素79~88%、水素10~14%、硫黄0~4%、酸素0~3%、窒素0~1%、金属0.5%以下となっている。
| 1. | 原油のタイプ |
石油の炭化水素を分子構造のタイプによって大別すると、パラフィン系(アルカン)、アセチレン系(アルキン)、オレフィン系(アルケン)、ナフテン系、芳香族系(→ 芳香族化合物)の5種類に分類される。このうち原油の炭化水素として多いのはパラフィン系とナフテン系で、芳香族系は比較的少ない。オレフィン系炭化水素は石油が熱分解すると容易に生成するが、原油中にはほとんどふくまれていない。アセチレン系炭化水素は、以上4種類の炭化水素にくらべて重要度は低いと考えてよい。原油とともに産出する天然ガスの炭化水素は、メタン、エタン、プロパン、イソブタン(→ ブタン)、ノルマルブタン、ペンタンが主である。
| 1.A. | パラフィン系炭化水素 |
パラフィン系炭化水素は、鎖状の飽和炭化水素で、同じ沸点の他の炭化水素にくらべて、比重(密度)、粘度(→ 粘性)、温度による粘度変化が小さく安定している。このパラフィン系炭化水素を主成分とするパラフィン基原油からは、オクタン価が低く、あまり良質でないガソリンしかできないが、ガソリンのえられる率は高い(→ガソリンの「オクタン価」)。しかしパラフィン基原油は、良質の潤滑油の原料となり、灯油、軽油、重油はもえやすいものができる。また沸点の高いものは、結晶してパラフィン(石蝋(せきろう))をつくる。
| 1.B. | ナフテン系炭化水素 |
ナフテン系炭化水素は、環状にむすびついた飽和炭化水素で、常温では安定しているが、高温になると触媒の働きで芳香族系炭化水素にかわりやすい性質がある。このナフテン系炭化水素を主成分とするナフテン基原油から、ガソリンをえられる率は低いが、改質して高オクタン価ガソリンをつくったり、石油化学製品の原料となる芳香族系炭化水素をつくることができる。また粘度が低いので潤滑油原料にはむかないが、アスファルト分を多くふくんでいるためアスファルト基原油ともいわれ、残油はアスファルトの原料となる。
| 1.C. | オレフィン系炭化水素 |
オレフィン系炭化水素は、鎖状の不飽和炭化水素である。天然原油には微量しかふくまれないが、分解油などには比較的多くふくまれ、分解ガソリンはオクタン価が高く、オレフィン系のエチレンやプロピレンなどは反応しやすいので、石油化学製品の重要な原料となる。また芳香族系炭化水素は、環状の不飽和炭化水素であるため化学的に反応しやすい性質をもち、なかでもベンゼン、トルエン、キシレンはよく知られている。比重はもっとも大きく、改質ガソリン、特殊溶剤などに多くふくまれ、オクタン価が高いことや反応しやすいことから、高級ガソリン、石油化学原料などに多くつかわれる。
以上のほか、硫黄分の多少によって原油を分類する仕方もあり、硫黄分の多い原油をサワー原油、硫黄分の少ない原油をスイート原油という。日本の主要な輸入原油のうち、中東系原油は一般にパラフィン基でサワー原油が多く、インドネシア系原油は中間基でスイート原油が多い。
| IV. | 探鉱と開発 |
石油の探鉱、開発では、まず対象地域の事前調査、鉱業権申請、利権交渉、入札などの手順や手続きをふみ、鉱業権を取得する。はじめに、航空写真解析、航空機による磁気探査、重力探査などの広い地域の地質調査がおこなわれ、次に地下堆積物の地表露出箇所での地表調査やサンプリング、地化学分析、古生物調査、堆積学分析などが実施されて、経済性が評価される。精密な調査の地震探鉱は、地表に穴をあけて人工的におこした衝撃波を測定して油田構造の存在を調査する。また、地層の電気伝導度を調査する方法もある。→ 資源探査
これらの調査結果を総合的に判断して、試掘する。試掘の深度は3000~4000m、ときには5000mにも達することがある。その試掘の結果、うまく油ガス層が発見されると、埋蔵量を計算し、採算性を調査する油層評価をおこない、開発が決定されたのち、詳細な開発計画と生産計画を策定することになる。しかし、試掘によって石油を発見する確率は10分の1、さらに商業的にじゅうぶん採算がとれる油田を発見できる割合は、100本の試掘のうち2~3本程度だとされる。
| V. | 原油の埋蔵量 |
地中の油層にある石油の量を埋蔵量といい、原始埋蔵量と可採埋蔵量の2つに大別される。原始埋蔵量は、資源量ともいわれ、油層内にある石油の総量をあらわす理論的な値であり、既発見量と理論的に算出される未発見量の総和である。
可採埋蔵量は、実際に開発された油田ですでに発見されている量であり、経済的に採取可能な石油の量である。掘削によって資源の存在が地質的、油層工学的に確実と判断され、もっとも信頼度の高い可採埋蔵量を確認埋蔵量という。また掘削で確認されてはいないが、同一の油田構造で資源の存在が類推できるものを推定埋蔵量、未試掘ではあるが近くの油田とガス田の存在から類推して資源の存在が予想できるものを予想埋蔵量という。
確認埋蔵量は、開発された油田で存在が確認されている石油資源のうち、その時代の技術と経済性を前提にして、採掘可能な資源量と定義することもできる。この確認埋蔵量に対して、未発見の油田をふくめた全地球の原油埋蔵量を究極埋蔵量(究極可採埋蔵量、究極資源量)という。
原油の年生産量Pに対する確認埋蔵量Rの比(R/P)を可採年数とよび、石油資源の寿命を推定する目安とされている。ちなみに、2007年末現在の世界の確認埋蔵量の上位5カ国は中東に集中しており、サウジアラビア(3630万t)、イラン(1900万t)、イラク(1550万t)、クウェート(1400万t)、アラブ首長国連邦(1300万t)の順となっている。
| VI. | 石油精製の工程 |
石油精製の工程は、原油の性質やつくる石油製品の種類、品質、量などによってちがうが、基本的には分留と熱分解である。原油の常圧蒸留操作をトッピング、常圧蒸留装置をトッパーとよぶ。これによって蒸留ガスやナフサ(軽質、重質)、灯油、軽油、残油(重油や潤滑油、アスファルトなどの原料油)などの各留分が大別される。各留分の沸点は、蒸留ガスは-42~-1°C、ナフサは30~180°C、灯油は170~250°C、軽油は240~350°C、常圧残油は350°C以上である。現在では、常圧蒸留によって各留分を連続的に分留できるようにした連続蒸留装置がつかわれている。
常圧蒸留の後、不純物の硫黄や窒素などを除去する化学洗浄や水素化精製、石油製品の改善のために炭化水素の分子構造を化学的に変化させる改質、需要の多い石油製品を増産するためのクラッキングなど、さまざまな工程をへて、それぞれの石油製品を生産する。また、常圧蒸留のように常圧下で一定の温度以上に加熱すると、えられる率が低くなる場合があるため、沸点が高く常圧で蒸留できない重質油は、比較的低い温度でも気化できるように装置内部の圧力をへらして蒸留する。これを減圧蒸留といい、重質油から潤滑油、アスファルト、分解ガソリンの原料油などをつくるためにおこなわれる。蒸留後にはさまざまな処理、特別の工程をへて目的の石油製品がつくられるが、そのような工程のすべてを総称して石油精製という。
| VII. | 石油製品の製造と用途 |
精製工程からえられる石油製品は、沸点や性状の違いによってさまざまなものがある。
| 1. | ガソリン |
石油製品としてもっとも複雑な精製工程を必要とするのはガソリンであり、自動車用、工業用、航空機用の3種類のガソリンがあるが、生産量のほとんどはガソリンエンジンを搭載した自動車用である。→ 内燃機関
| 2. | LPG |
液化石油ガスのことで、一般にプロパンガスともいう。原油の蒸留ガスから、ガス回収装置をつかって回収される。また接触改質、接触分解、水素化分解などの工程で副産物として生成するガスなどから回収される。→ガスの「ボンベ入り圧縮ガス(プロパンガス)」
| 3. | 灯油と軽油 |
常圧蒸留でえられた灯油と軽油の留分を製品にするためには、いくつかの不純物を除去する水素化精製の工程を必要とする。不純物の中でとくに有害なのは硫化物で、このため水素化精製の操作は水素化脱硫ともよばれる。このようにして生産された灯油は、おもに暖房や給湯など家庭用燃料として利用されるほか、業務用、工業用、農水産用などの燃料としても使用される。軽油はガソリンにくらべて製造が簡単であり、そのほとんどがディーゼルエンジン用燃料として利用され、バスやトラック、建設用重機、小型船舶、鉄道ディーゼルカーなどにつかわれる。
| 4. | 重油 |
重油の原料は常圧蒸留で底部にのこった残油で、これに軽質留分(灯油や重質軽油)を配合して重油を生産する。日本ではこの混合の配合によってA重油、B重油、C重油と分類するが、この順に軽質留分の配合量が少なくなり、しだいに粘度が高く硫化物も多くなる。A重油はおもに小型ディーゼルエンジンや小型バーナー用燃料として、B重油は一般ディーゼルエンジンやボイラー用燃料として、C重油は大型ボイラーや大型低速ディーゼルエンジン用燃料としてつかわれる。
重油の脱硫は、配合用の軽質留分の脱硫処理がおこなわれるほか、原料の常圧残油も配合前に水素化脱硫がほどこされる。この常圧残油の脱硫には、直接水素を作用させて硫黄分を除去する直接脱硫法と、常圧残油をさらに減圧蒸留装置にかけて減圧軽油と減圧残油(アスファルト分)にわけ、減圧軽油だけを水素で脱硫し、これを減圧残油と混合する間接脱硫法の2つの方法がある。→ ボイラー
| VIII. | 石油化学 |
石油や天然ガスを出発原料として、燃料油以外の化学製品を合成するための化学技術の体系を石油化学という。石油化学工業の最終製品は、プラスチックや合成繊維、合成ゴムなどの高分子化学製品(→ ポリマー)、界面活性剤、有機溶剤、染料、医薬、農薬など、多岐にわたる。現代の日本やヨーロッパ各国では原油の常圧蒸留で精製するナフサを主原料としている。これに対しアメリカでは、ガソリン需要量がきわめて多く、ナフサの大部分はガソリン原料となるため、重質油の接触分解や水素化分解によるガソリン製造から副次的に生産される分解ガス、あるいは油田から大量に産出する湿性天然ガスを主原料としている。
軽質ナフサを主原料として熱分解、接触改質などによってつくられる石油化学の主要な基礎原料は、エチレン、プロピレン、ブタジエン、ブチレンなどの低級オレフィン類である。また重質ナフサを主原料として接触改質によってつくられるものは、BTX(ベンゼン、トルエン、キシレン)などの芳香族炭化水素である。
| IX. | 石油利用の歴史 |
石油の歴史はきわめて古く、メソポタミアやペルシャなどでは前3200年ごろの遺跡にアスファルトを利用した痕跡(こんせき)がのこっている。
| 1. | 古代の石油利用 |
古い記録では、古代エジプト文明のミイラなどにも、アスファルトが防腐用や防水用に使用されたとされている。また古代ペルシャや古代中国では、礼拝用や製塩、灯火、炊事用に天然ガスがつかわれたという記録がある。
13世紀ごろのミャンマーやカスピ海沿岸では手掘りによる原油採掘がおこなわれ、16~17世紀ごろには簡単な精油もおこなわれ、照明や暖房に石油を利用していたという。またアメリカ先住民は丸木舟や屋根の防水、薬用、祭祀用(さいしよう)に古くから石油をつかっていた。このように、石油は、太古から世界各地で人類に知られ、土木、美術、宗教、医療、灯火、兵器などに利用されてきた。
| 2. | 近代の石油利用 |
1847年、イギリスの化学者ジェームズ・ヤングは、炭坑(→ 石炭)の中でしみだしている石油を原料にして、蒸留装置で加熱して灯油、潤滑油、パラフィンなどの製法を発明した。翌年には、特許を取得して製油所を建設した。この技術はアメリカにつたわり、石炭油とよばれ、それまでの鯨油(→ 捕鯨)やろうそくなどの灯火用燃料にかわって、精製灯火用燃料の製造が広まった。→ランプの「ランプの発展」
19世紀半ばのアメリカでは石油から良質のランプ用の油が製造されるようになり、石油の需要が急速にのびた。そこで1854年にはニューヨークの弁護士ビッセルが世界で最初の石油会社、ペンシルベニア・ロックオイル社を設立し、拡大傾向にある石油需要に対応していった。石油が産業史上で重要な地位を占めるようになったきっかけは、ロックオイル社の事業をうけついだセネカ石油会社がペンシルベニア州で油井の機械掘りをこころみたことだった。
1859年、セネカ石油会社に技師としてむかえられたエドウィン・ドレークは、それまでは塩水井を掘削する方法だった麻縄ケーブル式機械掘りの技術を応用し、原油生産を目的とした世界最初の油井の掘削に成功した。
| 3. | 用途の拡大と技術の進展 |
19世紀後半までの石油の生産は灯火用の灯油留分が大半を占め、ガソリン留分はまだその用途がないため、むしろ危険な副産物としてその処分に苦労していたほどだった。石油の用途が多様化し、大きく変化したのは、19世紀末から20世紀初めにかけてのことである。そのきっかけは、1879年のエジソンによる白熱電球(→ 電気照明)の発明、82年ダイムラーによるガソリンエンジン自動車の発明、93年ディーゼルによるディーゼルエンジンの発明などだった。これらの技術によって石油ランプ用の灯油需要が減少しはじめ、内燃機関の燃料としての灯油や重油の需要が増加していった。1903年にフォードが自動車会社を設立し、のちに独自の大量生産方式によってT型フォードとよばれる低価格の乗用車を発表すると、その後数年間でガソリンの需要は急増し、もっとも重要な石油製品となった。→自動車産業の「興隆するアメリカの自動車産業」
第1次世界大戦中に飛行機が急速に発達し、それにともなって高い出力をえられるオクタン価の高いガソリン製造技術が発展した。また軍艦、汽船などのディーゼル化がすすみ、船舶用の燃料も石炭から重油に転換していった。第2次世界大戦までに、小型高速ディーゼルエンジンが発達し、自動車、機関車、トラクターなどの燃料として軽油の需要もふえていった。
多様な内燃機関の進歩は、同時に潤滑油の多品種化、高級化をもたらした。さらに1920年代には、触媒の利用などによる石油の分解・合成技術を駆使した石油化学工業が発達したが、その後この技術は第2次世界大戦中の航空機用ガソリンの需要をみたしていくことになる。このような石油化学工業の技術は、アメリカを中心として各種の石油化学製品の製造をうながしたが、37年にイギリスでエチレンを高圧法で重合し、はじめてポリエチレンを工業的に合成したことをきっかけに、石油化学工業は大きく発展していった。
| X. | 日本における石油利用の歴史 |
日本の石油についての記録は、まず「日本書紀」にあらわれる。668年(天智7年)に現在の新潟地方から「燃ゆる水」「燃ゆる土」が朝廷に献上されたとある。この「燃ゆる水」は石油、「燃ゆる土」は石炭ではなく天然アスファルトのことだと推定される。また1608年(慶長13年)には、越後新津の真柄仁兵衛(まがらにへい)という人物がのちの新津油田となった「煮坪(にえつぼ)」を発見、13年には蘭引(らんびき)という簡単な蒸留釜(じょうりゅうがま)で灯油をつくったという記録がある。
1850年(嘉永3年)ごろに、新潟の蘭方医(→ 洋学)である山下喜斎が薬用の灯油を原油から製造したとつたえられている。日本では、19世紀前半ごろまで、石油が灯油用、防水用、潤滑用、薬用として確かにつかわれはしたが、それは新潟など一部の産油地域にかぎられていた。
| 1. | 石油産業の曙 |
明治の初めに新潟県を中心に日本海側で石油の採掘ブームがおこったが、ほとんどが零細な業者だった。1880年(明治13年)からは加藤直重らによって新潟県尼瀬(あまぜ:現、出雲崎町)に手掘り油井の試掘がすすめられ、86年に採油に成功している。これは、日本ではじめての近代的な油田だった。
1888年にはこの尼瀬油田の本格的な開発を目的として日本石油会社(現、新日本石油)が創設され、90年にはアメリカから麻縄ケーブル式掘削機を導入して近代的油田の体裁をととのえていった。91年、日本石油は尼瀬海岸で海中桟橋(かいちゅうさんばし)を構築して機械掘りをこころみ、世界最初の海洋掘削に成功した。また92年には日本で2番目の石油会社である宝田石油が設立されている。
| 2. | 外国原油の流入から戦時統制へ |
1890年代の後半からは外国の石油企業が日本に進出してきたため、1921年(大正10年)にはそれに対抗するため日本石油と宝田石油両社が合併し、新たに日本石油が発足した。大正から昭和の初年にかけては、カリフォルニア大油田の発見や外国為替の安値の影響で外国原油の流入が増大したため、日本石油は輸入原油の精製と販売に重点をおき、また三菱石油などの輸入石油精製会社が設立された。
1931年(昭和6年)の満州事変を契機に戦時統制(→ 統制経済)の時代に入ると、軍用の燃料を確保する目的で34年には石油業法が制定され、43年の販売各社の提携を建前とした石油専売法の成立で石油統制は完了した。また41年には特殊法人として帝国石油が政府の半額出資で設立され、これによって各社の採掘部門が統合されるとともに、精製部門も大手8社に統合されることになった。
| 3. | 戦後の復興と石油業法 |
第2次世界大戦後、当初のアメリカ軍の占領政策では日本の石油産業を復活させない方針だったが、1949年の占領政策の転換によって太平洋岸精油所の再開が認可され、輸入原油の精製が開始された。52年に石油製品の価格と配給の統制が撤廃されると、日本の石油精製企業は原油の安定輸入を確保するため次々と外資導入をおこなっていった。そして国内の主要な石油企業は、全面的に国際石油資本と提携し、その傘下にくみこまれていく。
| 3.A. | エネルギー革命と規制 |
1950年代後半にはエネルギー革命によって石油市場が急速に拡大し、石油産業はいちじるしい成長をとげる。この間、政府の支援も手つだって、国際石油資本の系列にない、いわゆる民族資本の地位がしだいに上昇し、外資系企業とほぼ互角の競争力を確保するようになっていった。
石油化学工業も1957年に開始され、とくにナフサを主原料とするエチレンプラントの増設によって60年代の高度経済成長期から73年の第1次石油危機までの間、各石油化学企業は急成長をとげた。62年、国内石油業界の過当競争を防止し、石油需給の適正化をはかることを目的として石油業法が公布され、石油精製業の新規参入や精製設備の新増設については許可制、石油輸入業、石油製品販売業については届出制となった。
| 4. | 石油危機と石油事業の自由化 |
石油業法の目的とは裏腹に、1973年の第1次石油危機などで既得権をもつ石油各社が独占禁止法上の問題をひきおこし、また通産省(現、経済産業省)も法律にもとづかないさまざまな行政指導をおこなってきたため、時代の要請にあわせて石油業法を再検討する必要性がさけばれてきた。
1979年の第2次石油危機以降、需要の停滞によって設備過剰が深刻化し、経営難に直面したため、石油業界は大規模な再編成を余儀なくされてきた。また石油化学業界では、石油の消費地精製主義によって石油製品であるナフサが国際市場から隔離されたため、日本のナフサ価格が国際価格よりも割高となり、石油化学製品の国際競争力の低下をまねいていた。
そこで1984年、それまで石油化学業界がのぞんできたナフサの輸入自由化は達成できなかったものの、国内のナフサ価格を国際価格と連動して決定する方式が採用された。
世界的な規制緩和の強い要請もあり、1987年に設立された石油産業基本問題検討委員会によって、石油業法上の規制を緩和するさまざまな行動計画がきめられ、92年(平成4年)の原油処理規制の撤廃で石油事業は実質的に自由化された。そして96年3月の特定石油製品輸入暫定措置法の廃止によって、日本における石油事業はほぼ完全に自由化された。
→ 国際石油資本:OPEC(石油輸出国機構)