植民地と植民地主義
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植民地と植民地主義
IV. 植民地帝国とその崩壊

植民地時代の第2期は、さらに2つの時期にわけることができる。1815年ごろから80年までと、80年から1914年までである。1815~80年の植民化の大部分は、新しい領土獲得をめざす意識的な努力の結果というよりは、既存の支配を維持するためのものだった。1880~1914年、ヨーロッパ列強は、ふたたびきそって進出するようになり、アフリカ(イタリアの侵略に抵抗したエチオピアをのぞく)とアジアの一部、また太平洋の植民地化が完了した。1914年までには植民地網が地球を一周するまでになった。なかでも最大かつ多彩な植民地を擁していたのはイギリスだったが、フランス、ベルギー、ドイツ、ポルトガル、アメリカ、日本も有力な植民地帝国だった。

植民地争奪の動機については、さまざまな議論がある。たとえばレーニンは、原材料の必要性と余剰資本のはけ口をもとめたヨーロッパの事情を重視して、先進資本主義の膨張への衝動が植民地獲得の動機だと主張している。また戦略的・外交的な動機を重んじ、世界を舞台に勢力争いを展開していたヨーロッパ各国の指導者が、植民地をチェスの駒(こま)とみなしたという説明もなされる。

ヨーロッパでの均衡がくずれ、20世紀に2度にわたっておきた世界大戦は、近代植民地主義が崩壊する前兆となった。朝鮮人の三・一独立運動、中国人の五・四運動、第2次世界大戦以降のエジプト革命、アルジェリアの独立闘争など植民地諸民族の民族意識の高まりとはげしい抵抗、ヨーロッパ諸国の政治的・軍事的影響力の弱まり、さらに植民地帝国の道徳的な正当性がうしなわれたことも、1945年以降の急速な植民地独立を推進した要素である。60年に国際連合総会は「外国による人民の征服、支配および搾取は、基本的人権の否認である」と宣言するにいたった。こうして何世紀にもわたってきずかれてきた植民地帝国は、わずか30年でほぼ解体された。