ワイン
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ワイン
III. 歴史

ワインをつくり、のみ、たのしむことは、少なくとも人類の歴史のごくはやい段階からおこなわれてきた。最初期のブドウ園は、前6000~4000年のカフカス(コーカサス)地方にさかのぼると思われる。その頃、メソポタミアでもワインが知られるようになり、アルコール飲料としてビール同様、製造されるようになった。エジプトでは前3000年以前に祭祀(さいし)で使用されていたが、以後2000年にわたり一般の人々の消費を目的として生産されてはいなかった。

ワインが食事とともに飲用されるようになったことをしめす最古の記録は、前5世紀、ギリシャの歴史家ヘロドトスの記述にみられる。ヘロドトスはエジプトの神官の日常の飲食物についてふれ、「神聖な穀物から焼いたパン、ガチョウとウシの肉をたくさん、そのほかにワイン」としるしている。古代ギリシャ人はブドウ栽培あるいはブドウ畑の開墾を営利目的ですすめ、ワインの輸出もしていた。それらのワインは濃厚で、粘りがあり、のむ前に水でかなりうすめなければならなかった。

ギリシャのワインは古代世界でかなりの需要があり、松やにをぬった大きな桶で発酵させた。この樹脂には、現代の有名なギリシャ・ワイン、レツィーナにもちいるテレビン油と同様の特性があったと考えられる。発酵のあと、国内消費向けには動物の皮袋に、また輸出用には陶製のアンフォラ(貯蔵用の壺)につめて出荷された。いずれも気密性がなく、したがってワインの貯蔵には不適当だった。

ワインの劣化をおさえようと各地でいろいろな製法が開発された。ハーブとスパイスと濃縮した海水の混合物を熟成してワインにくわえるという方法も考えられた。古代ギリシャのワインは現代人の味覚にはあいそうにないが、古代ギリシャ人たちはこれを愛飲し、ワインの神ディオニュソス(ローマ神話のバッコス)を崇拝した。当時の芸術や文学に目をむければ、生活や儀式の中でワインがいかに重要な役割をはたしていたかがわかる。

古代ローマ人もワインを愛した。ローマ帝国が拡大するにつれ、スペイン、ガリア、シチリア、エトルリア、イリュリア、北アフリカなど、土壌や気候が栽培に適した土地でブドウがつくられるようになった。間もなく、ガリア地域のワイン生産量はイタリアをはるかにうわまわり、ローマの元老院は植民地でのワイン生産を制限する法律を可決した。しかし、こうした法律はほとんど効果がなかったようである。1世紀後半、ブドウ園がひろく耕作されるようになって穀物生産が減少し、ついにドミティアヌス帝は領土のブドウ園の半分をほかの作物に転換するよう命令をださざるをえなくなった。

中世初期、ヨーロッパではワインの生産量と品質がしだいに低下していった。わずかに生産されていたものも地元では人気がなく、キリスト教の秘跡に必要なものであったため、ほとんどが教会の組織で消費された。おもなワイン生産地区がふたたび活力をとりもどすのは、12世紀以降のことである。

北アメリカでワインが知られるようになったのは、比較的あとになってからである。現在では、ヨーロッパ人が習慣として地元産のワインを愛飲するのにくらべて、アメリカ人はあまり銘柄にこだわらない。ブドウ栽培の歴史もアメリカ大陸では比較的新しい。カリフォルニアの各地でフランシスコ会の修道院が大規模なブドウ園を運営するようになったのは、ほんの200年前のことである。そして禁酒法が廃止されたあと、アメリカのワイン生産はほとんど一からやりなおさなければならなかった。それでも今日では、カリフォルニア・ワインが良質のヨーロッパ産ワインと肩をならべるまでになっている。

19世紀、カリフォルニアのブドウ園からもたらされた有害な副産物によりヨーロッパ・ワインが全滅の危機にさらされた。ブドウネアブラムシがカリフォルニアの台木に付着したままヨーロッパにはこばれ、これが伝染病をひきおこし、フランスだけで100万haのブドウ園が壊滅寸前になった。ブドウネアブラムシに耐性をもつアメリカ東部原産の台木にヨーロッパのワイン用ブドウの木、バイタス・バインフェラを接ぎ木し、完全にうえかえることで状況は改善された。