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パナマ(国)
I. プロローグ

中央アメリカの最南部、南アメリカ大陸と北アメリカ大陸をむすぶ地峡に位置する共和国。正式国名はパナマ共和国。パナマ運河地帯により国土は二分されている。北はカリブ海、南は太平洋に面し、東はコロンビア、西はコスタリカに接する。海岸線の長さは2490km。面積は運河地帯をふくめて7万5517km²。人口は329万2693人(2008年推計)。首都はパナマ市で、同国最大の都市。

II. 国土と資源

細長い国土にそって東西2つの山系がはしる。コスタリカからパナマにつづくタバサラ山脈が高度においてまさり、平均標高は1500mをこえる。最高峰は死火山のバル山(3475m)である。東側に位置するより低い山系は、サンブラス山脈とダリエン山脈からなり、標高は900mほどで、ところどころに肥沃(ひよく)で水はけのよい谷間と平野がみられる。

2つの山系にはさまれた地域は、標高約100~450mの森におおわれた丘陵地帯である。尾根や峰が点在し、平地や高原などもある。両山系ともに分水嶺(ぶんすいれい:分水界)をなし、あわせて325の大小河川が太平洋に、また150の川がカリブ海にそそぐ。最大の川は太平洋のサンミゲル湾にそそぐトゥイラ川である。国土の中央部に源を発するチャグレス川も主要河川で、ガトゥンではダムにせきとめられ、人造湖のガトゥン湖を形成している。この湖はパナマ運河の一部を構成している。

太平洋とカリブ海両岸はともに、環礁や湾、入り江などが数多くみられる。太平洋側のパナマ湾にあるペルラス諸島は大小100の島々からなり、その面積はあわせて約1150km²である。

1. 気候

気候は亜熱帯性で、沿岸部の年平均気温は23~27°C、内陸部の高地では平均気温19°Cである。4~12月が雨季にあたる。カリブ海側では年降水量がおよそ2970mmに達するが、太平洋側では1650mmほどである。

2. 天然資源

天然資源の開発はおくれており、おもに自然環境を生かした農業がいとなまれている。森林資源にめぐまれ、マンガン、銅、鉄、アスベストなどの地下資源も確認されているが、大規模な開発にはいたっていない。

3. 植生と動物

植生は降水量の差により地域で違いがみられる。カリブ海沿岸および東部は熱帯雨林におおわれ、森林の中ではスゲ、熱帯性の花、さまざまな野草類がみられる。これにくらべ太平洋岸では降水量が少ないため、落葉樹がまばらに生えている程度で、サバナもある。パナマ全土では2000種以上の熱帯性植物が確認されている。

動物は、中央アメリカで一般にみられるほぼすべての種類が生息しており、哺乳類ではピューマ、アルマジロ、オセロット、アリクイ、クモザル、ナマケモノ、シカなど218種が、爬虫類ではアリゲーター、クロコダイル、ヘビなど226種がいる。色鮮やかな鳥をはじめ732種の鳥類がみられるほか、北アメリカでよくみられるカモなどの渡り鳥が飛来する。魚介類の種類も豊富で101種がいる。

III. 住民

住民構成は、約70%がメスティソ(アメリカ先住民とスペイン系との混血)、14%が黒人、10%が白人、6%がアメリカ先住民である。人口の58%(2005年推計)が都市部に居住する。

1. 人口

人口は329万2693人(2008年推計)で、人口密度は43人/km²。後背地で農業による自給自足の生活をいとなむ住民も多いが、国民の約4分の1がパナマ市とその近郊のサンミゲリトに居住する。

2. 行政区分と主要都市

行政区分はボカスデルトロ、チリキ、コクレ、コロン、ダリエン、エレラ、ロスサントス、パナマ、ベラグアスの9つの州と、サンブラス特別区にわかれる。

首都パナマ市(人口81万3097人(2005年推計))は商業・交通の中心地で、その北東にサンミゲリト(33万9090人(2005年推計))がある。ほかに、パナマ運河のカリブ海側にあるコロン(5万2286人(2000年))、コスタリカ国境に近い農業中心地ダビド(7万6481人(2000年))などの都市がある。

3. 言語と宗教

スペイン語が公用語となっているが、住民の14%が英語を母語としている。スペイン語と英語の両方を話す者も多い。住民の約80%がカトリック教徒である。憲法は政教分離を明確にはうたっていないが、信教の自由は保障されている。

4. 教育

義務教育は6~11歳(2002-2003年)で無償。2000年における初等学校の在籍児童数は40万408人、教員は1万6187人(2000年)であった。中等学校の生徒数は23万4153人。大学は国立のパナマ大学(1935年創立)とパナマ工科大学(1981年)、チリキ自治大学(1994年)のほか、私立のサンタ・マリア・ラ・アンティグア大学(1965年)がある。チリキ自治大学以外はパナマ市にある。

5. 文化

パナマの文化は、基本的にスペイン、アフリカ、アメリカ先住民、北アメリカの文化がまざりあったものである。こうした文化の特徴は各種祭事をはじめ、舞踊や音楽などの多様で豊かな表現形式に反映されている。四旬節前のカーニバル(謝肉祭)では、さまざまな民俗習慣がみられる。手拍子とドラムの音にあわせておどるタンボリトは、17世紀から知られており、またクンビアはアフリカに起源をもつ。

パナマ運河の南西、パナマ湾に近いコクレの遺跡からは、9世紀ごろの遺物が出土している。このコクレでつくられたと推測される金製の装身具や甲冑(かっちゅう)などが、マヤ文明のさかえた北のユカタン半島で発見されている。1976年パナマ市に開設されたパナマ人類博物館では、考古学や民族誌学関係の収集品を展示している。

IV. 経済

パナマのおもな財源は、パナマ運河関連の収入である。運河はパナマとアメリカ合衆国が共同で管理していたが、1999年12月31日にパナマ運河管轄権が全面的に返還された。

1. 農業

耕作できる国土は多くないが、代表的な作物はサトウキビ、米、トウモロコシ、バナナ、コーヒーなどである。このほか家畜類の飼育もおこなわれている。

2. 林業と漁業

林業では、マホガニーをはじめとする各種木材が産出される。輸送手段がないため、広大な森林資源はほとんど手つかずのままになっている。

漁業は主産業の中でも飛躍がめざましく、太平洋でアンチョビーやマグロ、エビなどをとっている。近年は魚やエビの養殖もおこなわれている。2005年の年間漁獲量は22万t。

3. 鉱業と工業

小規模ではあるが、金と銀の採掘がおこなわれている。また太平洋沿岸では塩を産出する。セメント、タバコ、靴、衣類、石鹸(せっけん)、加工食品、アルコール飲料など主要製造品は国内消費用である。石油精製はほとんどが輸出用にまわされる。

4. エネルギー

2003年の総発電量は54億kWhだった。

5. 通貨と外国貿易

通貨単位はバルボア。米ドルと等価で、1バルボアは1ドルの価値がある。ただし、バルボア紙幣は発行していないので、流通しているのは米ドル紙幣のみ。中央銀行はパナマ国立銀行(1904年設立)である。

おもな輸出品はバナナ、エビ、粗糖、石油製品、コーヒーなど。輸出額の半分近くがアメリカ向けである。輸入相手国(地域)はアメリカ、オランダ領アンティル、コスタリカ、日本、メキシコ、コロンビアなどで、おもに野菜などの食料、機械類、化学製品、電気機器、輸送機械、単純加工製品を輸入している。2004年の輸出額は8億9029万米ドル、輸入額は31億2410万米ドルだった。

パナマは1993年、コスタリカ、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグアとともに経済統合や自由貿易の確立にむけ努力していくことで合意した。95年には、ラテンアメリカ12カ国およびカリブ共同体・共同市場(CARICOM)加盟国と共同して、自由貿易機構であるカリブ諸国連合(ACS)を結成した。2003年1月と8月にエルサルバドルおよび台湾と自由貿易協定(FTA)を締結。

6. 交通とコミュニケーション

国内の道路の総延長は、パン・アメリカン・ハイウェーをふくめ1万1643km(2000年)、舗装率は35%(1999年)である。鉄道の総延長は485km(1998年)で、パナマ地峡を横断してクリストバルとパナマ市をむすぶ線が幹線である。パナマ運河はカリブ海と太平洋をむすぶ。おもな港湾は、バルボア、クリストバル、ボカスデルトロ、アルミランテ、プエルトアルムエエスなど。パナマ船籍の商船は世界屈指の数をほこるが、その多くは外国資本の所有で、乗組員もパナマ人ではない。パナマ市の郊外には国際空港がある。

日刊紙はラ・エストゥレジャ・デ・パナマ、エル・マトゥティーノ、ラ・プレンサ、エル・シグロなどの8紙(2004年)がある。これらの総発行部数は17万部。電話の保有台数は1000人当たり136回線(2005年)、ラジオは82万台(1997年)、テレビは55万台である。

7. 労働

労働者数は150万3227人(2006年)。このうち16%(2005年)が農業、林業、漁業に従事し、67%が商業、金融、サービス業にたずさわっている。

V. 環境問題

パナマは熱帯雨林が多く、また中央アメリカと南アメリカをむすぶ位置にあるため、おどろくほどの生物多様性がみられる。そして、国立公園、野生生物保護区、天然記念物など、全土の6.5%(2004年)がなんらかの形で自然保護区に指定されている。広大なダリエン国立公園やコイバ国立公園などは、世界遺産(自然遺産)にえらばれている。政府は、自然保護と観光産業を連動させたエコツアー(エコツーリズム)を事業化し、観光による経済発展をめざしている。

VI. 政治

現行憲法は1972年に採択され、83年に大幅な改正がおこなわれた。

1. 行政

元首は大統領で、2名の副大統領とともに国民の直接投票によってえらばれる。内閣が大統領を補佐する。1980年代には、パナマ国防軍が政治面で大きな役割を演じ、最高司令官が実権をにぎっていた。

2. 立法

国会は立法議会のみの一院制。議員は普通選挙によって71名えらばれ、任期は5年。

3. 司法

最高の司法機関は、任期10年の9裁判官で構成される最高裁判所である。ほかに、高等裁判所、巡回裁判所、市町村の裁判所がある。

4. 地方自治

全9州が計65の行政単位にわけられ、さらに505に細分化されている。州の行政には大統領の任命する知事があたる。65自治体の首長と議員は選挙によってえらばれ、任期は4年。

5. 政党

1969~78年には政党活動は禁止されていた。89年の選挙でキリスト教民主党などからなる野党連合が勝利をおさめたが、結果は無効とされた。90年、キリスト教民主党が政治の表舞台におどりでたが、現在はほとんど勢力はない。94年の大統領・国会選挙では、軍政時代にノリエガ将軍をささえた民主革命党(PRD)が大きく勢力をのばした。民主革命党のほか、アルヌルフィスタ党(PA)、自由共和運動党(MOLIRENA)、民主改革党(CD)などの政党がある。

6. 防衛

1990年、エンダラ政権が軍部の政治的影響力を完全にそぐための措置として、国軍をいったん解散し、かわって国家保安隊をおいた。94年10月に国会は国軍の廃止を可決した。現在、国家保安隊は国家警察、航空保安隊、海上保安隊からなり、総人員は1万1800人。

VII. 歴史

パナマの地域を最初におとずれたヨーロッパ人は、スペインの探検家バスティダスで、1501年、カリブ海側のコロン北東にある港町ポルトベロに上陸した。翌年、コロンブスがモスキトス湾沿岸部を探査している。08年、スペインのカスティリャ王フェルナンド5世がパナマ地域一帯をスペインの探検家ニクエサにあたえた。そして13年、バルボアが太平洋岸に達したことにより、パナマは交通の要衝として重視されることとなった。

これにつづく16世紀初頭の数十年間で、スペインはこの地域の支配権を確立した。1530年代、ピサロはここを拠点にペルーのインカ征服をくわだて、のちにこの一帯はペルー副王領にくみこまれた。1718年には、ヌエバグラナダ副王領に編入された。ペルーおよび近隣植民地からスペイン本国への輸送ルートは、ほとんどがパナマ地峡を経由した。たとえば銀などはパナマ市まで海路をわたり、同市から陸路をへてポルトベロにはこばれ、そこからガレー船でスペインにおくられた。

16~17世紀には、イギリスの船乗りや海賊がしばしば地峡の交通路を分断し、幹線路両端の拠点を占領するなどして、搬送物の略奪をくりかえした。こうしたイギリス人の中では、ドレークやモーガンがとくに知られる。

1. コロンビアの支配

1821年、パナマはグランコロンビアの一員としてスペインからの独立を宣言した。しかし、パナマは両大洋間の海上交通の要衝という特別な位置を占めていたため、コロンビアとの関係は安定しなかった。やがてコロンビア支配への不満から、反乱が発生するようになった。とくに40年の蜂起(ほうき)ははげしく、パナマは一時的にコロンビア支配を脱したが、42年ふたたび勢力下にくみいれられた。

アメリカ合衆国は1846年の条約でパナマ地峡の通行権を獲得し、その見返りとしてパナマにおけるコロンビアの主権を承認した。40年代、パナマ地峡はアメリカ東部からオレゴン、カリフォルニアなど同国の太平洋岸に移住する人々の陸橋として利用された。48年、アメリカの会社が地峡横断鉄道の敷設権をあたえられ、50年に着工し、55年に完成した。同年、パナマはコロンビアから大幅な自治権をかちとった。

1863年のコロンビア新憲法により、パナマをふくむ各州は実質的な独立を達成したが、66年、ふたたびコロンビアの直接支配が復活する。コロンビア当局の圧政と腐敗が反感をよび、また地峡運河建設をめぐる交渉の進展状況に不満が高まったため、パナマ側では反乱が頻発するようになるが、いずれも失敗におわった。

2. 独立の達成

1903年11月3日、運河地帯の使用権に関するアメリカ合衆国とのヘイ・エラン条約をコロンビア議会が批准しなかったことから、パナマはコロンビアからの分離独立を宣言し、アメリカはただちにこの共和国を承認した。18日、アメリカはパナマと条約をむすび、運河の建設権と幅16kmの運河地帯の永久租借権を手にした。アメリカはその見返りとして、パナマに一時金として1000万ドル、さらに運河地帯の使用料として毎年25万ドルの支払いを約束した。またアメリカは、パナマの独立を保証し、代わりに軍事的混乱が発生した場合に介入する権利をえた。しかし、軍事行動に関するこの条項は、国内民族派勢力の反発をまねき、パナマの政治問題となっていった。

1904年、制憲議会により採択された初のパナマ憲法には、選挙による政府の樹立と大統領、2名の副大統領、最高裁判所、一院制議会などの規定がもりこまれた。医師で民族派の指導者アマドール・ゲレロが、初代大統領に選出された。07~14年のパナマ運河の建設期間中だけでなく、その後も長期にわたって、アメリカはパナマ内政への干渉をつづけた。第1次世界大戦では、パナマは連合国側について17年4月に参戦したが、戦時下の状況がさらにアメリカの影響力を強化することとなった。

3. パナマ運河の完成

パナマ運河は1914年に一部開通し、20年に運河本体がほぼ完成した。これによって、パナマは新たな繁栄の時代をむかえた。しかし、20年代を通じて国内の政情不安は解消されないままだった。パナマにおけるアメリカ合衆国の軍事的・政治的干渉は以前ほどではなくなったが、民族派の反米活動はむしろ活発化した。

1931年、アリアスを指導者とする反乱集団が政権を奪取したが、アメリカは介入をひかえた。32年、アリアスの兄アルモディオ・アリアスが大統領にえらばれ、その後数年間の両国関係は前進した。34年、アメリカがドルを切りさげると、パナマは、運河地帯の年間使用料25万ドルが、価値の減じたドルでしはらわれることを拒否し、両国は真っ向から対立した。交渉を重ねたのち、36年、パナマ側の主張をいれて年間使用料を43万ドルとし、同時に1903年条約の全面見直しが合意された。

1939年、アメリカの上院が批准したこの改訂条約により、アメリカは有事の際には運河防衛のためパナマ領内に軍隊を派遣する権利をえた。このとき、アメリカはパナマ内政への干渉権を放棄し、またパナマの独立をアメリカが保障するという条項も更新されなかった。パナマは、この条約によってさまざまな通商上の権益を手にいれた。

4. アリアス政権

第2次世界大戦中の1940年、アルヌルフォ・アリアスが大統領に就任するが、枢軸国寄りの姿勢が問題視され、翌年失脚した。42年、パナマは連合国側から第2次世界大戦に参戦した。戦争中はアメリカ軍基地が国内にもうけられたこともあって、パナマ経済は好景気にわいた。アメリカ軍は48年に基地を撤収した。

戦後はインフレ、債務、失業といった問題をかかえ、人口の急増がますます状況を悪化させた。このため政情不安をまねき、民族派は運河の引き渡しをアメリカに要求した。1949年、国家警備隊司令官レモン大佐の後押しで、アルヌルフォ・アリアスがふたたび政権を奪取した。しかし51年、アリアスが国会を解散し、ストライキが発生すると、レモンはアリアスを追放した。52年、レモンはみずから大統領に当選したが、改革をすすめるさ中の55年に暗殺された。

5. 反米運動の激化

アメリカ合衆国のしはらう運河地帯の使用料は、1955年に43万ドルから193万ドルにひきあげられた。しかし、デ・ラ・グアルディア大統領の政権(1956~60年)下に野党勢力は使用料の増額を要求し、とくにエジプトが56年にスエズ運河を国有化したことから、パナマでも国有化要求が強まった。

1959年、大規模なデモが発生し、アメリカ国旗はひきちぎられ、アメリカ政府機関の建物は投石をうけた。また運河地帯への侵入をこころみる者も後をたたなかった。パナマ側の反感をなだめるため、アメリカ大統領アイゼンハワーは、運河地帯にアメリカ国旗とならべてパナマ国旗もかかげるよう命令した。

反米運動はつづき、1964年にはアメリカ軍が暴動を鎮圧する事件もあった。国内で主権回復要求が高まる中で、ロブレス大統領は新しい条約締結をめざして交渉を開始し、67年、アメリカとパナマ両国は3つの条約草案の内容に合意した。

1968年、アルヌルフォ・アリアスが3度目の大統領になったが、就任の11日後、オマール・トリホス・エレラ大佐のひきいる評議会にその地位をおわれた。トリホスは国家警備隊司令官として、まもなく全政党の解散を命じた。72年、新議会が採択した憲法により、形式上の大統領制は維持されたものの、トリホスは政府主席として6年にわたり全面的な行政権をえた。

彼は内政と外交をとりしきり、政府・軍・司法の指導者を任命する権利をえた。経済は低迷をつづけ、1973年には輸入していた石油価格の高騰で債務が増加した。政府への抗議行動をうけて、賃金と物価の統制がおこなわれた。

6. 新運河条約

一方、運河問題をめぐる圧力も緊迫の度を高めた。1970年、トリホスは、アメリカの提案した67年の運河条約見直し案を拒否したが、71年には交渉を再開した。その結果、77年に2つの新条約がむすばれた。新運河条約は、アメリカによる運河の運営・維持・防衛の期限を99年12月31日までとし、通行料の一定割合をパナマがうけとることをみとめた。他方の中立条約は、すべての国家に運河使用権があるとしながら、同時にアメリカが無期限にその防衛にあたると規定している。

パナマ国内の一部強硬派は条約内容がふじゅうぶんであると反対したが、1977年、パナマはこれらの条約を批准した。アメリカ国内でも、これによりアメリカが収入につながる正当な財産権を放棄することになるという解釈や、パナマの管理下では運河の効率が悪化するとの懸念から、条約に反対する声が多くなった。しかし、78年アメリカも両条約を批准し、翌年に発効した。

7. ノリエガ政権とその後

1978年、トリホス将軍は政府主席の地位をおりた。新たに大統領に就任したアリスティデス・ロヨは82年7月に辞任においこまれ、事実上、軍部が一時事態を掌握したのち、84年5月バルレッタが大統領にえらばれた。85年、バルレッタは辞任し、かわってエリク・アルトゥロ・デルバジェが大統領となり憲法改正をおこなったが、依然としてノリエガ将軍のひきいる軍部が強大な権力をにぎっていた。

1988年2月、アメリカ連邦大陪審は、麻薬密売の容疑でノリエガ将軍を起訴するが、ノリエガは権力を保持しつづけたため、アメリカはノリエガ政権打倒をめざして、経済的・政治的圧力をくわえた。89年5月、アメリカの選挙監視団が野党指導者エンダラの大統領当選を報告すると、ノリエガ政権は選挙結果を無効とした。

1989年10月、ノリエガは軍内のクーデタを鎮圧するが、2カ月後、アメリカ兵2万4000人がパナマに侵攻し、エンダラを大統領に就任させた。90年1月、ノリエガはとらえられて身柄をアメリカにおくられ、92年4月、フロリダ州マイアミで麻薬密売と脅迫の容疑により有罪判決をうけた。アメリカは、侵攻とそれ以前の経済制裁による損害の賠償としてパナマに10億ドルの支払いを約束した。

しかしエンダラ政権下、パナマ国内ではクーデタ未遂事件が多発するとともに、経済の低迷状態がつづき、コカインの密売も盛んになる一方だった。1992年11月の国民投票では、エンダラ政権の推進する、軍隊廃止などをもりこんだ一連の憲法改正案が拒否された。

1992年10月、パナマは中米共同市場(CACM)に参加した。94年の大統領選挙では民主革命党(PRD)のペレス・バジャダレスが勝利をおさめ、翌95年、パナマは周辺諸国との経済統合をめざして、ラテンアメリカ12カ国およびカリブ共同体・共同市場(CARICOM)加盟国と共同で、カリブ諸国連合(ACS)を結成した。また、94年10月に国会は軍隊の廃止を可決している。97年9月、アメリカ軍の南方軍司令部の閉鎖式がおこなわれ、99年11月までにアメリカ軍の撤退が完了、独立以来96年間の駐留はおわった。新運河条約にもとづく運河地帯の返還式典も年末におこなわれた。なお、この年の9月には故アリアス大統領夫人でアルヌルフィスタ党(PA)のミレヤ・モスコソが新大統領に就任、パナマ史上はじめての女性大統領が誕生した。

モスコソ政権は、アメリカとの友好関係維持を基調にしつつ、運河地帯にある港湾施設の改善や観光、海外投資の誘致などに力をいれた。アメリカが提唱する米州自由貿易地域(FTAA)構想にも積極的で、2001年には暫定事務局をパナマ市においた。03年1月と8月にはエルサルバドルおよび台湾と自由貿易協定(FTA)をむすんでいる。しかしモスコソ政権下では、米軍撤退にともなう経済的な影響や、01年9月のアメリカ同時多発テロの影響もあって、経済は失速ぎみで成長率は低下、失業率も増加した。

2004年5月、モスコソ大統領の任期満了にともなう大統領選挙があり、親米派で民主革命党のマルティン・トリホスが勝利した。トリホス新大統領は、新運河条約によってパナマ運河返還の道筋をつけたオマール・トリホス将軍の息子である。9月に就任したトリホス大統領は、失業率の改善や海外投資の積極的な誘致などにとりくむ姿勢をみせた。また、手狭になったパナマ運河の拡張に関しても積極的で、06年にパナマ運河拡張計画の国民投票をおこなって承認され、翌07年9月に拡張のための起工式をおこなった。トリホス大統領就任後のパナマ経済は全般的に好調を維持した。

2009年5月、トリホス大統領の任期満了にともなう大統領選挙があり、中道右派の野党、民主改革党(CD)党首で元パナマ運河担当相のリカルド・マルティネリが当選した。