| ゴーギャン,P. | 項目ビュー | ||||
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| II. | 画家の誕生 |
共和派のジャーナリストを父に、中流家庭の子としてパリに生まれた。家族と南米ペルーで5年間すごしたのち、1855年に帰国。商船の船員をへて、パリで株式仲買人として成功をおさめ、妻と5人の子供をえて、快適で裕福な生活をいとなんだ。
1874年にピサロとであい、第1回印象派展をみてからは、絵の収集家・日曜画家として絵に情熱をかたむけるようになった。76年、79~82年、86年の印象派展に出品し、83年には画業に専念するために仕事をやめ、安定した暮らしを放棄した。じゅうぶんな生活費をえられなくなった妻は、子供をつれて実家にもどることを余儀なくされた。
1886~91年、ブルターニュ地方のひなびた小村ポンタベンに滞在し(この間、87~88年にパナマとマルチニーク島へ旅行)、そこで新しい表現様式の実験をこころみる画家グループの中心的存在となって、ポンタベン派を形成した。エミール・ベルナールの影響で、印象主義を否定し、たんなる自然の再現ではなく、そこに内面的・理念的世界をうちだして、象徴的内容を表現する総合主義を展開した。
彼は中世のステンド・グラスや日本の浮世絵版画、文明から遠くはなれた土着の素朴な芸術などに霊感をえた。浮世絵版画への造形的関心は、1888年に南仏アルルで、ゴッホと2カ月間共同生活するうちに生じたものであった。彼の新しい表現様式は、「黄色いキリスト」(1889)などの、非自然主義的色彩による、大きく平坦な色面と太い輪郭線にしめされている。