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| VII. | 鎌倉時代の美術 |
この時代は1180年の頼朝挙兵のころから1333年(元弘3)に鎌倉幕府が滅亡するまでの約150年間である。中国からは宋の文化が流入して、平安期に完成した国風文化に刺激をあたえた。仏教美術は南都仏教の復興、浄土教関係の新興宗派の台頭、さらに禅宗がもたらされて活況を呈する。政治の舞台は武士の手によって鎌倉にうつされたが、美術においては京都の公家文化の影響力はいまだうしなわれてはいない。この時代、美術の新たな基調はリアリズムである。
| 1. | 建築 |
1180年、平重衡の南都焼討ちによって東大寺、興福寺の伽藍と仏像の多くが焼失したが、その復興事業が建築界に新風をもたらすこととなった。興福寺は伝統的な和様によって再建されたものの、東大寺再建の勧進職をつとめた重源は、南宋の工人陳和卿(ちんなけい)をもちいて積極的に宋朝様式をとりいれていった。新様式は大仏様あるいは天竺様と称され、東大寺南大門、浄土寺浄土堂などがのこる。しかし力強い構造をもち、豪壮な印象をあたえるこの新様式は、従来の穏やかな和様との隔たりが大きく、重源の時代以後は部分的に和様に吸収されるかたちで短命におわった。大仏様の要素をとりいれた新和様は霊山寺本堂、長弓寺本堂などに典型的にうかがえる。
また禅宗の伝来とともに、禅宗様あるいは唐様とよばれる新様式がもたらされる。北宋の様式をつたえ、細部に装飾性が豊かなこの禅宗様は、鎌倉・建長寺をはじめとして13世紀中ごろに成立したと思われるが、鎌倉時代にさかのぼる現存例は山口・功山寺仏殿などわずかである。はやくも13世紀末ごろには、和様に大仏様と新来の禅宗様の装飾的細部をとりいれた折衷様が登場する。和歌山・長保寺本堂にその例がみられる。
| 2. | 彫刻 |
彫刻においても南都復興が大きな契機となる。当時の彫刻界は京都を拠点とする円派、院派とそれに対抗する奈良仏師があり、興福寺復興の造仏は定朝の末裔であるこの三派にゆだねられた。南円堂の諸像を担当したのが奈良仏師の康慶で、そこでは天平彫刻の復古をめざしながら写実的な新様式を展開している。つづく東大寺の造仏に際しては康慶が一門をひきいてその多くを担当した。
鎌倉新様式を確立したのは康慶の息子運慶である。前代の末から活動をはじめていた運慶は、時代の初頭には静岡・願成就院の諸像などに清新な感覚の写実をしめしている。東大寺復興では1203年(建仁3)、康慶の弟子快慶とともに雄渾な南大門金剛力士像を制作。つづく興福寺北円堂の諸像、とりわけ無着・世親像がたたえる深い精神性は、運慶の晩年に達した様式の完成をうかがわせる。
運慶とともに慶派をになった快慶は、東大寺の重源に師事し浄土信仰にあつかった。安阿弥陀仏と称した彼のつくる阿弥陀立像の型は、安阿弥様(あんなみよう)として知られる。宋風をしめす醍醐寺三宝院弥勒菩薩像、浄土寺浄土堂の巨大な阿弥陀三尊像などが代表作。
運慶をついで一門を統率したのが長男湛慶である。運慶を継承する穏やかな洗練された作風で、妙法院蓮華王院本堂の諸像を手がけた。また、運慶の3男とつたえられる康弁には力感あふれる興福寺の天灯鬼・竜灯鬼像がのこる。湛慶以後はやがて運慶の様式もしだいにエネルギーをうしない、形式化にむかっていく。また、宋風の影響をうけた慶派の東国における造形に、鎌倉の大仏として知られる高徳院の銅造阿弥陀如来座像がある。
肖像彫刻では運慶の4男康勝の作に、写実に徹した六波羅蜜寺の空也上人像がある。武将の肖像としては、鎌倉・明月院の上杉重房座像の静かな老境をうつした造形が印象的である。
| 3. | 絵画 |
仏画では宋風の影響を東寺の「十二天屏風」(1191)の軽快な線描にみることができる。作者は絵仏師の宅磨勝賀。また同じころの作品に明恵上人がなき母を追慕して念持仏(ねんじぶつ)とした高山寺の「仏眼仏母像(ぶつげんぶつもぞう)」がある。細くひきしまった線描と、なによりも画面をつつむ清浄な気分が新時代の到来をつげているようである。浄土教絵画の阿弥陀来迎図も多彩な表現をみせる。厳かな法華寺の「阿弥陀三尊および童子像」は古典的な形式。来迎の一瞬をリアルにとらえた知恩院の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は早来迎(はやらいごう)の名にふさわしく、その運動感は頂点に達している。また山々の背後から阿弥陀如来が太陽のようにのぼってくる「山越阿弥陀(やまごえあみだ)」という新しい来迎図が描かれた。
社寺の由来や霊験を描く縁起絵、開祖の伝記を描く祖師伝絵といった分野も、物語性豊かに絵巻形式で展開される。縁起絵には「北野天神縁起」(北野天満宮)と宮廷画家高階隆兼(たかしなたかかね)が描いた「春日権現験記」(宮内庁)があり、祖師伝絵の代表作としては「一遍聖絵(いっぺんひじりえ)」(→ 一遍上人絵伝)があげられる。そこでは静かな詩情のこめられた四季の景観の中で、時宗の開祖一遍の生涯がくりひろげられている。なお神仏習合の思想から生まれた神道の垂迹画(すいじゃくが)にも「春日曼荼羅」など聖域の景観を描くものが多く、滝そのものを神体として表現した「那智滝図」(根津美術館)は異色の存在といえる。
一方、世俗の絵画では王朝文化の名残をとどめる「紫式部日記絵巻」などとともに「平治物語絵巻」「蒙古襲来絵詞」(宮内庁)のような合戦絵のリアルな表現が注目される。
そしてこの時代の写実の精神をしめすものが、似絵とよばれる肖像画である。おもに宮廷人の相貌をうつす個性描写に特色があるが、その似絵の名手藤原隆信の筆とつたえるのが神護寺の「伝源頼朝像」「平重盛像」「藤原光能像」で、これはわが国の肖像画の最高峰に位置する重厚な表現をみせている。同じ肖像画に属し、禅僧の姿をうつす頂相も、宋画の影響のもとに禅宗の世界で大いにとうとばれた。
| 4. | 工芸 |
鎌倉時代の工芸はおおむね伝統の継承のうちに和様の完成にむかうが、時代の精神を反映して意匠の表現は写実的な傾向をおびてくる。漆工では、平安時代に優美をきわめた蒔絵に立体的な高蒔絵がもちいられるなど、複雑に写実味をましてゆく。金工では舎利信仰の高まりの中から舎利塔に優品が多く、金銅透彫舎利塔(西大寺)のように多彩な彫金の技巧の粋をつくした作例がある。また武家の時代にふさわしく刀剣が隆盛にむかい、その末期には名工・正宗が出ている。