| ロケット | 項目ビュー | ||||
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| III. | 液体ロケット |
1920~30年に液体ロケットの開発がはじまり、26年にマサチューセッツ州オーバンでゴダード型ロケットの初の発射実験が成功した。その後、31年にドイツ、32年にソビエト連邦(現、ロシア連邦)がそれぞれ液体ロケットをうちあげた。ドイツでは物理学者のウェルナー・フォン・ブラウンのもとで開発がすすめられ、42年10月3日にはじめて弾道ミサイルV-2号がうちあげられ、この種のロケットの実用化の道を開いた。
| 1. | V-2号と強制労働 |
初の弾道ミサイルとなったV-2号は、第2次世界大戦末期、制空権をうばわれたナチスドイツの重要な攻撃手段となった(→ ナチズム)。その生産はフォルクスワーゲンがうけおっており、おもにチューリンゲン州ノルトハウゼン近郊のドーラ(ミッテルバウ=ドーラ)の強制収容所の収容者の手によっておこなわれた。ユダヤ人やロム、政治犯やポーランド人らからなる収容者の待遇は、機密保持の目的もあって、他の強制収容所とくらべてもさらに過酷なものであった。1日12時間もの労働時間、粗末な食事、たび重なる親衛隊(SS)やカポ(囚人頭)による暴力など、劣悪な条件のもとで生産されたロケットは、1万発以上にのぼる。しかし、囚人らによる勇気ある労働忌避行為などの効果もあって、実際にイギリス本土へ到達したのは半数ほどであった。
フォン・ブラウンらナチスに協力した技術者たちは、これらの責任を一切問われることなく、戦後はアメリカやソビエトにわたり、核ミサイルや宇宙ロケットの開発に手をかすことになった。
| 2. | 液体ロケットの構成 |
第1世代型は弾頭または科学器材をおさめた円錐型(えんすいがた)の頭部をもち、そこにジャイロスコープまたはジャイロコンパス(→ コンパス)、加速度計、コンピューターなどの誘導装置、燃料タンク、酸化剤タンクが積載される。比較的小さいロケットは、希ガス(不活性ガス)で推進剤のタンクを加圧して燃料と酸化剤を燃焼室に注入する。これに対し大型のロケットは、ポンプの力で燃料と酸化剤を燃焼室におくりこむ。V-2号でも毎分127kgの推進剤を燃焼したように、大型ロケットに大量の燃料と酸化剤をおくるためにはガス・タービンで駆動する大吐出量の遠心ポンプが必要である。
有人宇宙船と第2世代型ロケットの発達によりマーキュリー、ジェミニ、アポロが登場した(→ 宇宙探査)。人類を月におくりこむことを目的にフォン・ブラウンらにより開発されたサターンVは史上最大のロケットで、3段式で全長は111mもあった。その後に登場した液体ロケットの決定版であるスペースシャトルは、各種の搭載機器を単一の機構に統合している。また、1994年(平成6年)には日本の宇宙開発事業団(現、宇宙航空研究開発機構:JAXA)が、液体水素と液体酸素のエンジンをつかったH-II型ロケットを開発し、その打ち上げに成功した。
| 3. | 液体推進剤 |
初期の液体ロケット開発者は、ガソリン、エタノール(エチルアルコール)、軽油など各種の液体推進剤をためした。V-2号、バイキング、レッドストーンなどがもちいた液体酸素で燃焼させるエチルアルコールは沸点が低く、蒸発による損失が大きかった。
その後、液体酸素の代替燃料の研究がはじまり、やがて点火しなくても酸化剤をくわえれば燃焼する自燃性燃料が開発された。酸化剤には通常、硝酸、燃料にアニリンまたはヒドラジンをもちいるが、とくにヒドラジンは自燃性にすぐれている。液体水素は燃料効率がきわめてよいが、危険で取り扱いがむずかしい。アメリカの科学者はこの難題を克服して、ケンタウルス、サターンV各打ち上げロケット、スペースシャトルなどに液体水素を使用できるようにした。
| 4. | ハイブリッド推進剤 |
ハイブリッド推進剤は、プラスチックなどの固体推進剤と、液体酸素や硝酸などの液体酸化剤をもちいる。加圧容器の液体酸化剤を固体推進剤の上におくと、固体推進剤は内側から外側に燃焼する。ハイブリッド推進剤はあつかいやすい固体推進剤と、燃え具合の調節が容易で、しかも液の流れをとめて燃焼の中断もできる液体酸化剤の各利点を生かそうとしたもので、今後この推進剤は操舵(そうだ)と速度の修正に利用されるだろう。
多段ロケットでは固体、液体の各ロケットを併用する場合がある。たとえばアメリカ空軍のタイタンIIICでは1段目を使い捨て型固体ロケットに、2段以降を液体ロケットにしている。
| 5. | ロケット・ノズル |
準真空状態で行動する宇宙船の高性能ロケットエンジンは、超音速を出すために巨大なノズルが必要である。ノズルは燃焼室のガスの分子を収束部におくり、次にスロートとよばれるくびれた最狭部をとおるときガスは音速に達して、漏斗(じょうご)に似た形の出口から排出する。ノズルの直径は一般に燃焼室の4~5倍である。
ノズルの壁を通過する高温で高速のガスは、高温にさらされる時間が数分になると、熱伝達で重大問題がおこる。液体ロケットは多くの場合、熱の条件がもっともきびしいスロート付近に冷却をおこなう必要がある。たとえば液体水素と液体酸素の燃焼室は、ノズルの壁の配管に液体水素をポンプで循環させて温度をさげる。
| 6. | 将来のロケットエンジン |
ロケットエンジンの性能は、毎秒当たり1ポンド(454g)の推進剤を消費する推力の数であらわされる。これを比推力という。比推力をくらべると、現在の液体水素–液体酸素ロケットエンジンの450に対し、原子力ロケットエンジンは1100である。原子力ロケットエンジンは原子炉で液体水素を超高温ガスに変換し、高温・高圧の状態でノズルをとおす。このエンジンは地球と月を往復するシャトル船や惑星探査船の各発電装置に適している。
また、きわめて重力の弱い宇宙環境では、長期間作動して燃料を効率的につかう低出力のロケットエンジンが有利である。たとえば、超高温のイオン・ガスをエンジン後部から排出するプラズマ・ジェット(→ イオン化)や、そのイオン・ガスを電磁場で加速する機構、キセノンやセシウムなどのイオンを電場で加速するイオンエンジン、膨大な数の光子(フォトン)を光速度で噴出させて、長期間小さい推力を作動させるフォトンエンジンなどが考えられている。現在、イオンエンジンは惑星探査機や人工衛星の姿勢制御などに利用されており、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の小惑星探査機「はやぶさ」(MUSES-C)では主エンジンに採用された。
| 7. | ロケットの応用 |
固体ロケットは、船舶、航空機等の救難信号、ミサイル研究の飛行物体実験、渓谷に橋を建設する際に対岸にロープをなげかけるとき、宇宙線探査ロケット(→ 宇宙線)、航空機の補助離陸装置(RATO)など、応用の道は広い。
液体ロケットは高空科学調査、航空医学実験、弾道研究などに利用されている(→ 宇宙・航空医学)。
| 8. | 日本のロケット開発 |
日本のロケット技術は、第2次世界大戦末期にドイツからの技術供与により、要撃機(迎撃用戦闘機:→ 軍用機)のエンジンとして研究・開発された歴史はあるが、宇宙空間への輸送手段としての開発は戦後10年たってからはじまった。
| 8.A. | 科学観測用ロケットの開発 |
観測用ロケットの開発は、1955年(昭和30年)、東京大学生産技術研究所の糸川英夫らによって、直径1.8cm、全長23cm、重さ230gという、ごく小さな「ペンシルロケット」からはじめられた。しかし、3年後の58年には第1段直径25cm、第2段直径16cm、全長5.4m、重量は255kgという2段式のカッパ6型(K-6)が高度約50kmに到達。このカッパロケットで、57年から58年にかけての国際地球観測年(IGY)に参加、上層大気の観測をおこなうことに成功した。IGY期間中に自力で観測用ロケットをうちあげた国は、米ソ以外では日本とイギリスだけであった。
1964年には東京大学宇宙航空研究所が開設され、科学観測用ロケットの開発も生産技術研究所の事業をひきついだ。なお、同研究所はその後81年に、文部省(現、文部科学省)の大学共同利用機関として位置づけられ、宇宙科学研究所となった。さらに2003年(平成15年)からは、宇宙開発事業団などと統合されて独立行政法人の宇宙航空研究開発機構となっている。
1970年(昭和45年)2月11日に、日本初の人工衛星「おおすみ」をうちあげたのはラムダ4S型ロケット5号機(L-4S-5)で、日本はアメリカ、ソビエト(現、ロシア連邦)、フランスについで世界で4番目の衛星打ち上げ国になった。L-4Sは、全長16.5m、直径0.735m、全重量9.4tの4段式ロケットで、全重量が26kgまでの衛星をうちあげることができた。
1971年の9月には、より大型のミュー4S型ロケット(M-4S)をつかい、初の科学衛星「しんせい」がうちあげられた。M-4Sは、全長23.6m、直径1.41m、全重量43.6tの4段式ロケットであった。その後もロケットは改良を重ねられ、85年1月には日本初の惑星探査機「さきがけ」が3段式の大型固体ロケット、M-3SIIによってうちあげられた。M-3SIIは、全長27.8m、直径1.41m、全重量61tで、770kgの衛星を軌道にのせることができた。また、「さきがけ」は技術開発・試験衛星という位置付けではあったものの、86年に接近したハレー彗星の観測で大きな成果をあげている。
1997年(平成9年)からはミュー・ファイブ(M-V)ロケットがもちいられた。このロケットは全長30.7m、直径が2.5m、全重量139tと国産固体ロケットとしてはもっとも大きく、M-3SIIの約2.3倍である1800kgの衛星をうちあげることができた。M-Vロケットでは、97年2月の1号機による科学衛星「はるか」(MUSES-B)をはじめ、98年7月には3号機で火星探査機「のぞみ」(PLANET-B)、2003年5月には5号機で小惑星探査機「はやぶさ」(MUSES-C)、05年7月には6号機でX線天文衛星「すざく」(ASTRO-EII)などがうちあげられた。そして、06年9月に太陽観測衛星「ひので」(SOLAR-B)の打ち上げをもって、任務を終了した。
こうした衛星打ち上げ用ロケットのほかにも、上層大気(→ 高層気象観測)やプラズマなどを研究するための小型の観測用ロケットの到達高度が200kmのS-310(1段、全長7.1m、全重量0.7t)、到達高度350kmのS-520(1段、全長8m、全重量2.1t)、到達高度1000kmのSS-520(2段、全長9.65m、全重量2.6t)などがある。これら旧、宇宙科学研究所が開発した国産のロケットは、いずれも固体燃料をつかうのが特徴である。
| 8.B. | 商業利用をめざすロケット |
これに対して、1969年(昭和44年)に設立された宇宙開発事業団(現、宇宙航空研究開発機構)のロケット開発は、アメリカからの技術導入ではじまった。宇宙科学研究所と共同開発された、固体燃料ロケットをつかうJ-Iをのぞき、Nシリーズ、Hシリーズともに主ロケットは液体燃料(液体水素と液体酸素)で、補助ロケットに固体燃料をつかっている。
1975年9月に1号機がうちあげられたN-Iロケットは、全長32.6m、重量が90.4tという3段式の日本初の実用衛星打ち上げ用大型液体ロケットだった。N-Iロケットは82年9月までの7回の打ち上げにすべて成功し、7機の試験衛星や技術衛星をうちあげている。このN-Iロケットの改良型であるN-IIロケット(全長35.3m、全重量135.2t)も81年2月の1号機から87年2月の8号機までのすべての打ち上げに成功。静止気象衛星の「ひまわり」や通信衛星の「さくら」など8機の衛星を静止軌道にのせている。
1994年(平成6年)に国産化率100%を達成して完成したH-IIロケットは、全長50m、直径4m、全重量260tで、2000kgの静止衛星をうちあげる力があった。また、2001年8月29日に試験機1号機の打ち上げに成功したH-IIAロケットは、全長53m、直径4m、全重量285tの2段式ロケットで、H-IIロケットのエンジンなどを大幅に改良し、部品点数をへらすなどコストダウンがはかられた。そして、H-IIAロケットは、試験機2号機までの機能テストを終了し、本格的な実用段階に入り、02年9月に3号機、12月には4号機をうちあげ、複数の人工衛星を搭載し、それぞれの衛星を個別の軌道にのせることにも成功した。
2003年3月には、日本初の情報収集衛星(→ 軍事衛星)を搭載した5号機の打ち上げにも成功したが、11月に宇宙航空研究開発機構してはじめてのうちあげとなった6号機は固体補助ロケットの分離に失敗し、地上からの指令で爆破された。その結果をもとに改良がおこなわれ、05年2月に種子島宇宙センターから運輸多目的衛星(MTSAT-1R)を搭載した7号機の打ち上げには成功した。なお、MTSAT-1Rは、3月に赤道上空の静止軌道にのり、静止気象衛星「ひまわり6号」と名づけられた。
そして、2007年9月に月周回衛星「かぐや」の打ち上げに成功した13号機以降は、民営化の政府方針にもとづき、宇宙航空研究開発機構から民間企業である三菱重工にH-IIAロケットの打ち上げ業務のほとんどが移管された。09年1月には、15号機で温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」(GOSAT)をはじめ、東北大学のスプライト観測衛星(雷神)や東大阪宇宙開発協同組合の「まいど1号」などの小型衛星をうちあげることに成功している。
国産技術による自主開発ではじまった日本のロケット開発は、アメリカの技術を導入、まなびながら今日にいたった。科学研究用の探査機、実用衛星のいずれも、よりやすく、確実にうちあげるロケット技術がもとめられている。とくに商業用衛星の打ち上げでは、NASA(アメリカ航空宇宙局)やロシア航空宇宙局(Rosaviakosmos)、ヨーロッパ宇宙機関(ESA)、中国国家航天局(CNSA)などとの間で国際的な受注競争がはげしい。H-IIAロケットで、巻き返しをねらってはいるものの、商業ベースの利用という点では、日本のロケットはまだたちおくれているのが現状である。
→ 宇宙開発