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数学
I. プロローグ

数・量や空間について研究したり、論理的な操作によって、未知の数量をもとめたり、その性質をしらべたりする学問。かつては、数学は量の科学であると考えられ、幾何学では図形などの大きさを、算数では数を、代数学ではこれら両方をつなぐ量をあつかうものとされた。しかし19世紀半ば以降、数学は、関係の科学とか論理的結論をみちびく科学とみなされるようになってきた。現代の数学では、抽象的な記号の間の関係として数学的内容があらわされ、定義・公理・仮定から論理的な推論規則をもちいてみちびかれるものが正しい理論とされる。

ここでは、さまざまな数学的な見方や考え方の発展を、有史以前からの数学の歴史を手短に紹介しながら、たどることにしたい。数学の歴史は、まさに人類の歴史と同じくらい古い。たとえば、有史以前の土器や織物の文様なり洞窟画(旧石器時代美術)をみれば、すでにこの時代の人たちに幾何学的なセンスと図形への関心があったらしいことがうかがえる。原始的な数をかぞえる仕組みが、片手または両手の指をつかうことからはじまったであろうことは、今でも5や10をもとに数をあらわす記数法が、もっぱらつかわれているという事実からも見当がつく。

II. 古代の数学

体系だった数学がつかわれた記録は、メソポタミアのバビロニア王国や紀元前2000年代のエジプトにまでさかのぼる。そこでは、計算法が中心であり、幾何図形の大きさをはかったり計算してもとめることに重きをおいていたが、公理とか論証といった考え方があったという形跡はない。

紀元前1800年代のエジプトの史料には10進法がつかわれているが、10のべき乗(1、10、100、など)ごとに別の記号をつかってあらわしていた。数は、10のべき乗の単位がいくつふくまれるかを、それぞれの個数だけその記号を書いてあらわした。たとえば、1の記号を5個、10の記号を6個、100の記号を3個書いて、数365をあらわした。足し算は、それぞれの記号をあつめることによっておこない、掛け算も、それぞれの記号を何倍かにすればできた。

エジプトでは、すべての分数が単位分数(1/n)の和としてあらわされた。たとえば、2/7は1/4と1/28の和としてあらわされる。この方法で分数の計算問題が解かれ、代数の初等的な問題もあつかわれた。幾何学でも、三角形、長方形、台形の面積や直方体、円柱、角錐(ピラミッド)の体積がもとめられた。円の面積は、円の直径の8/9の2乗としてもとめられていたが、これは円周率の値として約3.16をつかっていたことに相当し、今日知られている円周率の値(約3.14)にかなり近い。

バビロニアの記数法は、エジプトの記数法とはまったくちがっていた。粘土板にいろいろな楔(くさび)形の記号を書いて数をあらわしたバビロニアでは、小さな楔は1をあらわし、矢のような楔は10をあらわした(表)。59までの数は、エジプトと同じように、記号の個数をふやしてあらわした。60という数も1と同じ記号であらわしたが、うまく位置をつかって区別した。59までの数をあらわす記号と、位置による区別をつかう方法で、分数も同じようにして表現することができた。このようにバビロニアでは、10進法のまじった60進法に位取りをもちいて、うまく数をあらわすことができた。

バビロニアでは、2次方程式の正の根がもとめられた(方程式)。ある3次方程式の根ももとめられている。乗算表、除算表、平方表、立方表など、さまざまな数表がつかわれた。数表のひとつには、ピタゴラスの方程式

a² + b² = c²

の整数解が、c²/a²の値が2から約4/3まで減少するように並んでいる表があり、これをつかって複雑な問題も解いていた。等差数列や等比数列、平方数の和などをあつかうこともできた。また、2の平方根の近似値ももとめている。幾何では、三角形、長方形、台形の面積や直方体、円柱の体積はもとめられたが、角錐の体積をもとめることまではできなかった。

1. 古代ギリシャの数学

古代ギリシャ人は、バビロニアとエジプトの両方から数学をとりいれたが、それにとどまらず、まったく新しい数学の考え方も生みだした。定義や公理や証明によって論理的にくみたてられた、抽象的な数学が初めてつくりだされた。この新たな展開は、ミレトスのタレスやサモスのピタゴラスによって、前6世紀にはじまった。ピタゴラスは、宗教的指導者として「万物は数なり」と説き、数論や幾何学などの分野で多くの重要な発見をした。

紀元前5世紀になると、原子論で有名なデモクリトスは角錐の体積の公式をみつけ、キオスのヒッポクラテス(医学の祖とは別人)は弓形の図形の面積を研究した。この時代、ギリシャの三大問題といわれるものが、熱心に研究された。つまり、あたえられた円と等しい面積をもつ正方形をつくる円積問題、あたえられた角を3等分する角の3等分問題、あたえられた立方体の体積の2倍に等しい体積をもつ立方体をつくる立方体の倍積問題の3つである。いずれも、定規とコンパスだけをつかって作図するのは不可能なのだが、そのことは19世紀になってやっと証明された。

紀元前5世紀後半、正方形の1辺と対角線の長さは、同じ単位をもとにはかることができないことが発見された。つまり、古代ギリシャでは自然数(1, 2, 3, ... )だけを数と考えていたので、1辺と対角線の長さの比をあらわすことはできなかった。この比Ãは、今日では無理数とよばれている。そのため、自然数にもとづいたピタゴラスの比の理論はゆきづまり、新たな量の理論が紀元前4世紀に、クニドスのエウドクソスによってつくられ、この量の理論はユークリッドの「原論」にとりいれられた。エウドクソスは、長さだけでなく面積や体積も、相次ぐ近似によって厳密にしめす方法を発見した。

ユークリッドは、数学者であり、またエジプトのアレクサンドリアの学園ムセイオンの教師として光学や天文学、音楽についても著作をのこした。彼のあらわした13巻からなる「原論」には、前4世紀末までの数学的業績が論理だててまとめられており、多角形や円に関する平面幾何、比例論、数論、通約できない量の理論、立体幾何などがあつかわれている。

紀元前3世紀は、アルキメデスやアポロニオスなどを輩出した黄金時代であった。アルキメデスは、円錐曲線からできる図形の面積や体積を、図形をかぎりなく細くうすく分割してもとめる方法(求積法)を発見した。彼は数学者であるほか、技術者、力学の研究者としても功績があり、その研究は17世紀の微積分の発見にも大きな影響をあたえた。アポロニオスは、8巻の「円錐曲線」をあらわし、楕円、双曲線、放物線という名前をつけたりもした。彼の理論構成はずっとひきつがれ、17世紀のデカルトにいたるまでの幾何学に影響をあたえた。

3世紀にアレクサンドリアで活躍したディオファントスは、不定方程式とよばれる問題を「数論」においてあつかったが、これはディオファントス方程式として後世のフェルマーに影響をあたえた(ディオファントス解析)。

2. 古代ギリシャの応用数学

古代ギリシャでは、純粋数学とともに、光学、力学、天文学なども研究された。ユークリッドやアルキメデスのような偉大な数学者の多くは天文学の著作ものこしている。アポロニオスの時代以降、天文学では分数をあらわすのにバビロニアの記法がもちいられ、円の弦の表がつくられた。円弧に対する弦の長さの表で、今日の正弦関数表にあたり、三角法と三角関数の始まりといえる。紀元前150年ごろにヒッパルコスがつくった初期の表では、0°から180°までを7.5°きざみに表示していた。2世紀のプトレマイオスの時代には、計算法もすすんでいたため、4分の1度きざみでつくった表は60進法で書かれていたが、きわめて精度が高かった。プトレマイオスより少し前の天文学者メネラオスは、球面幾何学を発展させ、天体の位置を明確にあらわす球面天文学の基礎をつくった。

III. 中世とルネサンスの数学

プトレマイオス時代のあと、近代のはじまるまでの何世紀にもわたって、ギリシャ数学の偉大な成果と伝統はイスラム世界にひきつがれ、独自の発展もくわわることになった。

1. イスラムの数学

アラビア半島におこり、スペインから中国国境にいたる大国家をつくったイスラム教徒は、外国科学の成果の習得につとめた。カリフの奨励もあって、バグダットなどでは、古代ギリシャやインドの数学の著作がアラビア語に翻訳された。インドでは、すでにゼロの概念が発見され、位取り記数法や記号による代数が発展していた(記数法:数)。

900年ごろまでには、外国科学の継承もおわり、そこからイスラム独自の科学が生まれはじめた。彼らは、インドの10進記数法を小数にまで拡張した。12世紀ペルシャの詩人オマル・ハイヤームは数学者でもあり、平方根や立方根をもとめるインドの方法を改良して、4乗根、5乗根など一般のべき乗根をもとめた。代数では、フワーリズミーが1次方程式や2次方程式などの解法に関する研究をしたが、彼の名は算法を意味する語アルゴリズムの語源でもあり、代数を意味するalgebraの語源は彼の著書名に由来する。アル・カラジがさらに一般の多項式をあつかうなど、代数はひじょうに進歩した。幾何では、アルキメデスの面積や体積の研究を継承したものや、円錐曲線の理論をつかって光学の問題を解いた成果などがある。三角法では、インドの正弦関数と古代ギリシャのメネラオスの定理をつかって、平面三角法と球面三角法の表も作成されたが、15世紀ドイツの天文学者レギオモンタヌスの本がでるまでヨーロッパではつかわれなかった。

イスラムの数学者たちは、数論においても重要な発見をし、代数方程式を数値的に解く方法もいろいろ研究した。ギリシャ古典のアラビア語訳とイスラムでの成果が12世紀につたえられたヨーロッパでは、中世後期に数学の発展がもたらされた。フィボナッチやパチョーリなどイタリアの数学者が書いた代数や算術の書物は、イスラム数学の影響を大きくうけていた。

2. 西洋ルネサンスの数学

中世末期には、14世紀にニコル・オレームがam/nという分数指数にあたるものを考えて「比の理論」を無理数にまで拡張したり、15世紀にニコラウス・クサヌスが無限について考えるなど、数学思想の深まりはあったが、ヨーロッパでの数学的に重要な発見は16世紀になってからであった。3次と4次の代数方程式の解の公式は、イタリアの数学者カルダーノが1545年に発表した本「アルス・マグナ(大技法)」に書かれている。この公式の発見から、複素数の研究や5次以上の代数方程式の解の研究がはじまり、群論(群)のもとになる18世紀末の研究や、19世紀のフランスの数学者ガロアの理論へとすすんでいった。16世紀末にフランスの数学者ビエートは、未知数だけでなく係数も文字であらわして4次までの代数方程式の解法を一般的に表現し、記号代数の方法の始まりとなった。代数計算による彼の方法は、フランスのフェルマーやイギリスのニュートンなど、その後の数学者に大きな影響をあたえた。

IV. 16世紀以降の数学

ルネサンス以後、数学の発展をみたのは、おもにヨーロッパであった。

1. 17世紀の数学

17世紀には、アルキメデスやアポロニオスらが活躍した古代ギリシャ黄金期以来の、数学的に大きな発展があった。ネーピアは対数を発明して天文学の計算につかった。対数関数は、現在でも数学や科学で重要なものであるが、対数表や対数の性質を利用した計算器である計算尺は、コンピューターの発達とともにあまりつかわれなくなった。

数論においては、古代ギリシャのディオファントスの著作「アリスメティカ(数論)」がフェルマーに大きな影響をあたえ、数論に代数的方法がもちいられて発展した。「nを2より大きな整数とするとき、式 an + bn = cnをみたす正の整数a, b, cはない」というフェルマーの最終定理は、長い間数論の未解決問題として研究され、代数学や数論における多くの重要な研究結果を生みだしたが、フェルマーから約350年後の1994年になって、ようやくアメリカ・プリンストン大学のワイルズによって完全に証明された。

幾何学でも、この世紀にいちじるしい発展があった。1637年に「方法序説および試論集」をあらわしたデカルトは、解析幾何学を生みだし、ルネサンス以来発展した代数的方法をもちいて曲線について研究した。これはニュートンの業績の基礎になるなど、のちの数学に大きな影響をあたえた。デザルグは、39年に射影幾何学を考案した。射影幾何学は、デカルトやパスカルの評価はうけたが、解析幾何学にくらべて発展はおくれ、19世紀初めポンスレの仕事のあと大きく発展した。

17世紀に数学が切りひらいた重要な分野として、確率の理論がある。賭けの問題を論じたパスカルとフェルマーとの往復書簡は、確率論の研究の始まりとされる。これに刺激されてオランダの物理学者ホイヘンスは、サイコロ遊びでの確率について論文を書いた。18世紀にはいって、スイスのヤコブ・ベルヌーイの「推論術」やフランスのド・モアブルの「偶然論」では微積分がつかわれ、いっそう確率論を発展させた。

17世紀最大の功績は、1660年代のニュートンによる微分法と積分法の発見である(微積分)。フランスのデカルト、イタリアのカバリエや、イギリスのウォリス、バーロウなどの研究をもとに、ニュートンは微積分法を完成していたが、発表されたのは死後であった。ドイツのライプニッツは、ニュートンより少しおくれてはいたが、独立に微積分法を発見して1684年に発表した。ライプニッツによる、微分の記号dxや積分の記号 ∫ などのすぐれた記法は、現在でももちいられている。

2. 18世紀の数学

17世紀末から18世紀にかけては、ニュートンやライプニッツの研究をうけて、物理学や天文学や工学のさまざまな問題を解くのに微積分がつかわれた。その過程で、ベルヌーイ兄弟らによる変分法、モンジュによる微分幾何学など、新しい数学の分野も生まれた。かつては代数計算を意味していた「解析(analysis)」という言葉が、このころまでには、微積分を基礎とした確立した数学分野をさすものとして定着した。フランスでは、ラグランジュが「解析力学」(1788)をあらわし、力学系についての有名なラグランジュ方程式をみちびいた。彼は、微分方程式のほか数論でも業績をあげ、のちの群論につながる仕事ものこした。フランスのラプラスは、「天体力学」(1799~1825)や「確率の解析的理論」(1812)などの著書で、解析学の方法を深め、その威力をみせつけた。

18世紀最大の数学者は、スイス生まれのオイラーであろう。彼は解析学をはじめ、数論、幾何学など数学のあらゆる分野で重要な貢献をしたほか、物理学などへの数学の応用にも功績があった。数学や物理学の問題に微積分をもちいて、オイラーやこの時代の数学者はたくさんの業績をのこしたが、微積分の基礎については、まだ厳密性に欠けるところがあった。運動学の直観にもとづくニュートンの微積分、無限小をつかったライプニッツによる微積分の表現、無限級数を代数的にあつかうラグランジュの方法などは、古代ギリシャ数学的な厳密性を欠いていた。解析学の基礎についての検討は、次の19世紀をまたなければならなかった。

3. 19世紀の数学

1821年に、フランスの数学者コーシーが、極限や収束の概念をもとに微積分学にきちんとした論理的基礎をあたえた。これをきっかけに、実数の厳密な定義が問題になってきたが、ドイツの数学者デデキントは、有理数の集合の「切断」という考え方を導入して実数の定義をあたえた。やはりドイツの数学者であったカントルやワイエルシュトラスも、これと同等だが別のかたちの定義をあたえた。これと深く関連していたのは、関数とは何か、という問題であった。18世紀以降、弦の振動や熱伝導などをあらわす、さまざまな微分方程式が研究されたが、これは解として関数をもとめる問題である。オイラーやラグランジュの成果のほか、フランスの数学者フーリエやドイツの数学者ディリクレが業績をあげたが、はじめて「関数」のきちんとした定義をしたのはディリクレであった。関数の性質を考えるうえでも、実数の厳密な定義が必要になった。

19世紀には、解析学がめざましい発展をとげた。ガウスによって複素数をきちんと数学的にあつかう方法がみいだされ、複素解析という新しい分野が発展した。コーシーやワイエルシュトラス、ドイツの数学者リーマンらによって、複素解析の分野で多くの業績が生みだされた。もうひとつは、フーリエの研究した三角関数の級数であった。これはフーリエ級数として知られており、現在でも解析学の重要な道具になっているが、関数の性質についての微妙な問題をともなっている。フーリエ級数の問題をきっかけに、カントルは無限集合についての研究をはじめ、濃度などの概念を導入した。

非ユークリッド幾何学も19世紀に発見されたが、当時は抽象的で役にたたないと考えられた。非ユークリッド幾何では、ある直線に対し、直線外の1点をとおり、それに平行な直線が2本以上引ける。または、別のタイプの非ユークリッド幾何では、1本も引けない。初めはガウスが考えついたが、論争をおそれて発表しなかった。同じ時代のロシアのロバチェフスキーやハンガリーのボーヤイは、独立に同じ結果をえて、それを発表した。多様体の概念をうちたてたリーマンは、より一般的な枠組みの中で、非ユークリッド幾何の研究をすすめた。そうした成果は、20世紀になって、アインシュタインにより物理学の研究に応用された。

ガウスは、代数学の基本定理を証明して学位をうけ、1801年に「数論研究」をあらわして整数論の新しい時代をつくり、数論を「数学の女王」とよんだ。解析学、幾何学などの純粋数学への貢献のほか、ガウスは偉大な数学者であるとともに、いろいろな科学への数学の応用にも功績があった。天文学、測地学、電磁気学などを研究するとともに、それぞれに関連する数学理論として、最小二乗法、曲面論、ポテンシャル論などの研究を展開した。

代数の重要課題は、19世紀になると、多項式の研究から代数系の研究に移行していった。イギリスでは記号代数がつくられ、論理の代数が生まれた。実数と共通の性質もあるが、別の性質ももつような、新しい代数系がつくられた。たとえば、ウィリアム・ハミルトンの4元数、ケイリーらの行列、グラスマンの線形環などがある。また、ラグランジュの研究にはじまる群論も、ガロアが代数方程式の理論にもちいたのをきっかけに、より深いものへと発展していった。

かつてデカルトがおこなったように、この時代の代数学が幾何学に応用されて、新しい展開がみられた。ドイツの数学者クラインは、変換群という群論をもちいて、エルランゲン・プログラムとよばれる幾何学の総合をはかった。ノルウェーの数学者リーは、リー群とよばれている連続群をもちいて、微分方程式を幾何学的に研究する方法を切りひらいた。20世紀になると、代数学はトポロジーとよばれる分野でもつかわれるようになった。

イギリスの数学者ブールは、1854年に「思考の法則についての研究」をあらわし、論理代数という分野をつくった。また、カントルの集合論は、数学が何を対象にし、いかに基礎づけられるのか、という問題をよびおこした。素朴なカントルの集合論ではパラドックスが生じることを、イギリスの哲学者で数学者のバートランド・ラッセルらが指摘した(論理学)。こうした流れが、20世紀の数学基礎論につながっていった。

4. 現代の数学

1900年にパリでひらかれた国際数学者会議で、ドイツのゲッチンゲン大学教授のヒルベルトが講演した。「幾何学の基礎」(1899)の著作をはじめとして「数理物理学の方法」を共著であらわすなど、彼は、数学のほとんどの分野で偉大な業績をのこした数学者である。講演では、「23の数学の問題」をあげ、新しい世紀の数学の研究目標をしめした。これらの問題は、たしかに20世紀の数学の研究の大きな刺激になった。ヒルベルトの問題の解決は、世界じゅうの数学者の注目の的である。

これらの問題と同じぐらい重要で、しかもヒルベルトが予見できなかったことがあるとすれば、それはデジタルコンピューターの発明だろう。そして、コンピューターは、将来の数学の発展にとってますます重要な役割をはたすものと思われる。コンピューターの歴史は、17世紀のパスカルやライプニッツによる歯車式計算機にはじまるが、命令を書いたプログラムにもとづいて自動的に計算をおこなうことのできる機械を考えたのは、19世紀イギリスのバベッジであった。その構想を実現することはバベッジの時代の技術では無理だったが、20世紀半ばにはトランジスターなどが発明され、大型コンピューターが実現された。コンピューター

コンピューターの発達は、数値解析や有限数学のような数学の分野をひじょうに発展させた。また、アルゴリズムの研究のような数学の新しい分野も生まれた。数論や微分方程式や抽象代数学のようなさまざまな分野で、コンピューターが強力な道具となっている。さらに、コンピューターをつかって数学における長年の未解決問題を解くこともできた。「隣接する2国はことなる色でぬるとして、4色あればどんな地図でもぬりわけられるか」という19世紀中ごろからあった4色問題は、そのもっともよい例だ。この主張が正しいことは、1976年にアメリカのイリノイ大学の大型コンピューターをつかって、最終的に証明された。

現在、数学的知識は、これまでのどの時代よりもはやくすすんでいる。かつてはわかれていた理論が、ますます普遍的で抽象度の高い、1つの理論に統合されていく。たくさんの重要な問題が解決されたとはいえ、リーマン予想のような長年数学の攻略をはばんできた難問ものこっており、また新しい挑戦しがいのある問題も生まれている。もっとも抽象的な数学でさえ、その応用がみつかることが多いということも、現在の数学の特徴といえる。