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| II. | 古代の数学 |
体系だった数学がつかわれた記録は、メソポタミアのバビロニア王国や紀元前2000年代のエジプトにまでさかのぼる。そこでは、計算法が中心であり、幾何図形の大きさをはかったり計算してもとめることに重きをおいていたが、公理とか論証といった考え方があったという形跡はない。
紀元前1800年代のエジプトの史料には10進法がつかわれているが、10のべき乗(1、10、100、など)ごとに別の記号をつかってあらわしていた。数は、10のべき乗の単位がいくつふくまれるかを、それぞれの個数だけその記号を書いてあらわした。たとえば、1の記号を5個、10の記号を6個、100の記号を3個書いて、数365をあらわした。足し算は、それぞれの記号をあつめることによっておこない、掛け算も、それぞれの記号を何倍かにすればできた。
エジプトでは、すべての分数が単位分数(1/n)の和としてあらわされた。たとえば、2/7は1/4と1/28の和としてあらわされる。この方法で分数の計算問題が解かれ、代数の初等的な問題もあつかわれた。幾何学でも、三角形、長方形、台形の面積や直方体、円柱、角錐(ピラミッド)の体積がもとめられた。円の面積は、円の直径の8/9の2乗としてもとめられていたが、これは円周率の値として約3.16をつかっていたことに相当し、今日知られている円周率の値(約3.14)にかなり近い。
バビロニアの記数法は、エジプトの記数法とはまったくちがっていた。粘土板にいろいろな楔(くさび)形の記号を書いて数をあらわしたバビロニアでは、小さな楔は1をあらわし、矢のような楔は10をあらわした(表)。59までの数は、エジプトと同じように、記号の個数をふやしてあらわした。60という数も1と同じ記号であらわしたが、うまく位置をつかって区別した。59までの数をあらわす記号と、位置による区別をつかう方法で、分数も同じようにして表現することができた。このようにバビロニアでは、10進法のまじった60進法に位取りをもちいて、うまく数をあらわすことができた。
バビロニアでは、2次方程式の正の根がもとめられた(→ 方程式)。ある3次方程式の根ももとめられている。乗算表、除算表、平方表、立方表など、さまざまな数表がつかわれた。数表のひとつには、ピタゴラスの方程式
a² + b² = c²
の整数解が、c²/a²の値が2から約4/3まで減少するように並んでいる表があり、これをつかって複雑な問題も解いていた。等差数列や等比数列、平方数の和などをあつかうこともできた。また、2の平方根の近似値ももとめている。幾何では、三角形、長方形、台形の面積や直方体、円柱の体積はもとめられたが、角錐の体積をもとめることまではできなかった。
| 1. | 古代ギリシャの数学 |
古代ギリシャ人は、バビロニアとエジプトの両方から数学をとりいれたが、それにとどまらず、まったく新しい数学の考え方も生みだした。定義や公理や証明によって論理的にくみたてられた、抽象的な数学が初めてつくりだされた。この新たな展開は、ミレトスのタレスやサモスのピタゴラスによって、前6世紀にはじまった。ピタゴラスは、宗教的指導者として「万物は数なり」と説き、数論や幾何学などの分野で多くの重要な発見をした。
紀元前5世紀になると、原子論で有名なデモクリトスは角錐の体積の公式をみつけ、キオスのヒッポクラテス(医学の祖とは別人)は弓形の図形の面積を研究した。この時代、ギリシャの三大問題といわれるものが、熱心に研究された。つまり、あたえられた円と等しい面積をもつ正方形をつくる円積問題、あたえられた角を3等分する角の3等分問題、あたえられた立方体の体積の2倍に等しい体積をもつ立方体をつくる立方体の倍積問題の3つである。いずれも、定規とコンパスだけをつかって作図するのは不可能なのだが、そのことは19世紀になってやっと証明された。
紀元前5世紀後半、正方形の1辺と対角線の長さは、同じ単位をもとにはかることができないことが発見された。つまり、古代ギリシャでは自然数(1, 2, 3, ... )だけを数と考えていたので、1辺と対角線の長さの比をあらわすことはできなかった。この比Ãは、今日では無理数とよばれている。そのため、自然数にもとづいたピタゴラスの比の理論はゆきづまり、新たな量の理論が紀元前4世紀に、クニドスのエウドクソスによってつくられ、この量の理論はユークリッドの「原論」にとりいれられた。エウドクソスは、長さだけでなく面積や体積も、相次ぐ近似によって厳密にしめす方法を発見した。
ユークリッドは、数学者であり、またエジプトのアレクサンドリアの学園ムセイオンの教師として光学や天文学、音楽についても著作をのこした。彼のあらわした13巻からなる「原論」には、前4世紀末までの数学的業績が論理だててまとめられており、多角形や円に関する平面幾何、比例論、数論、通約できない量の理論、立体幾何などがあつかわれている。
紀元前3世紀は、アルキメデスやアポロニオスなどを輩出した黄金時代であった。アルキメデスは、円錐曲線からできる図形の面積や体積を、図形をかぎりなく細くうすく分割してもとめる方法(求積法)を発見した。彼は数学者であるほか、技術者、力学の研究者としても功績があり、その研究は17世紀の微積分の発見にも大きな影響をあたえた。アポロニオスは、8巻の「円錐曲線」をあらわし、楕円、双曲線、放物線という名前をつけたりもした。彼の理論構成はずっとひきつがれ、17世紀のデカルトにいたるまでの幾何学に影響をあたえた。
3世紀にアレクサンドリアで活躍したディオファントスは、不定方程式とよばれる問題を「数論」においてあつかったが、これはディオファントス方程式として後世のフェルマーに影響をあたえた(→ ディオファントス解析)。
| 2. | 古代ギリシャの応用数学 |
古代ギリシャでは、純粋数学とともに、光学、力学、天文学なども研究された。ユークリッドやアルキメデスのような偉大な数学者の多くは天文学の著作ものこしている。アポロニオスの時代以降、天文学では分数をあらわすのにバビロニアの記法がもちいられ、円の弦の表がつくられた。円弧に対する弦の長さの表で、今日の正弦関数表にあたり、三角法と三角関数の始まりといえる。紀元前150年ごろにヒッパルコスがつくった初期の表では、0°から180°までを7.5°きざみに表示していた。2世紀のプトレマイオスの時代には、計算法もすすんでいたため、4分の1度きざみでつくった表は60進法で書かれていたが、きわめて精度が高かった。プトレマイオスより少し前の天文学者メネラオスは、球面幾何学を発展させ、天体の位置を明確にあらわす球面天文学の基礎をつくった。