エトルリア文明
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エトルリア文明
III. 政治・経済

エトルリア人は統一国家を形成することはなく、有力貴族の家柄の首長によって支配される都市国家が分立していた。各都市国家は植民活動で近隣に勢力をひろげ、それぞれの利害関係からときには外国とも連合をむすんだ。

エトルリアには、一時北部、南部、中央部の3つの都市連合がつくられ、おのおの12の都市が参加していた。とくに重要なのは中央の都市連合であった。それはおだやかな政治・宗教上の連合体で、ラティウムのウォルシーニ湖(現ボルセナ湖)畔のウォルトゥムナ神殿で、1年に1度集会がひらかれた。この連合は政治より、むしろ宗教的性格が強かった。

中央都市連合を構成した都市については、リウィウス、ディオニュシオス、シチリアのディオドロスらの歴史家の記述から推測するほかには信頼できる史料はない。それによるとアレティウム(現アレッツォ)、カエレ(現チェルベテリ)、クルシウム、コルトナ、ペルシャ(現ペルージャ)、ポプロニア、ルセラエ、タルクイニア、ウェイイ、ウェトゥロニア、ウォラテラエ(現ボルテラ)、ブルチの諸都市が参加していたと思われる。これらの都市では、毎年ルクモとよばれた長官(王?)がえらばれ、各都市を統治した。

最盛期のエトルリアは強力な軍事力を保有していたが、おそらく諸都市間で軍事力の差があった。歩兵が軍隊の主力をなし、おもな武器は槍(やり)と斧(おの)で、斧は打撃のみならず、ときには投擲(とうてき)用武器としてつかわれた。また弓や投げ槍も使われた。エトルリア人の墓からは、しばしば矢や投げ槍が発見される。兜(かぶと)と盾にはさまざまな形があり、ギリシャ人やアルプス東部の部族が使用していたものの形がつかわれた。剣はあまりみられず、貴重だったようである。また騎兵も、エトルリアの軍隊の重要な役割をになっていたと考えられ、大きな墓の壁画からは、よく戦車の絵が発見される。エトルリアの海軍も強力で、ティレニア海を中心にして最盛期のほぼ2世紀の間、地中海を実質的に支配していた。

エトルリア人の支配地域では、鉄、銅、スズの豊富な鉱脈が存在し、鉱山業、製錬業が盛んで、これらの鉱物資源がエトルリア文明の繁栄の基礎をなした。前8世紀には、フェニキア人との交易が盛んとなり、フェニキア商人たちは未加工の鉱物の地金や木材、皮革などの原材料をもとめ、東方からの加工品と交換した。その後アエナリア島(現イスキア島)に植民したギリシャ人は、ここを拠点としてエトルリア人との交易活動を盛んにおこなうようになった。前7世紀にはコリント産の陶器が輸出されていたが、前6世紀末~前5世紀に、アッティカ産陶器の輸出が圧倒的となり、その中には著名な壺絵(つぼえ)作家の作品もみられる。アテネ人はとくに、エトルリアの青銅製品を重用した。前6世紀には、エトルリア人の交易圏は、今日のフランスやスペイン地域にまでおよんだ。