| 検索ビュー | 化学工業 | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
製造工程のおもな部分に化学反応を利用する工業を総称して化学工業という。実際の工程には、合成、分解、交換、重合、発酵などがつかわれる。鉱石を還元して金属を抽出する金属精錬業(→ 冶金)や粘土などを焼結して焼物をつくる窯業なども、主要な工程には化学反応を利用するが、通常は、化学工業にはふくめない。
| II. | 化学工業の分類 |
化学工業を、基盤となっている技術をもとにより細かくわければ、電気化学工業、発酵化学工業、高圧ガス化学工業、有機化学工業などのような分類もできる。ただし、このような分類法は、化学工業の技術的特徴を考えるうえでは有効だが、原料をふくめた材料と製品相互の経済的な関連を考察するうえではふじゅうぶんであるため、出発原料から基礎材料、中間材料、最終製品までの流れをつかむためには、別の分類の考え方もある。
まずひとつには、石炭化学工業(→石炭の「石炭化学工業」)や石油化学工業などのように、出発原料によって分類する方法である。また、ある化学工業部門でつくられた基礎材料は、他の部門で中間材料に加工され、さらに最終製品へと加工されることから、それぞれの加工、製造部門によって化学工業を分類することもある。その分類にしたがえば、まず基礎材料部門として、石炭乾留工業(おもにコークス、タールを製造)、電気分解工業(塩素、苛性(かせい)ソーダなどを製造)、石油分解工業(エチレン、プロピレンなどを製造)などがある。そして、この段階で製造された基礎材料は、次の中間材料製造部門の原料となる。アンモニア工業(アンモニアを製造)、メタノール工業(メタノール、ホルマリン(→ ホルムアルデヒド)などを製造)、石炭系有機化学工業(アセチレン、ベンゼンなどを製造)、石油化学系有機合成化学工業(オレフィン系炭化水素(→ アルケン)を製造)、硫酸工業などが中間材料製造部門である。さらにこの段階でつくられた中間材料は、化学肥料工業、プラスチックと合成ゴム工業、油脂工業、塗料と染料工業、紙パルプ工業などの最終加工部門によって、最終製品になる。
| III. | 化学工業の歴史 |
厳密にいえば、鉱石の精錬のように、生産活動に化学反応を利用する行為は、原始時代や古代からおこなわれていたが、化学工業という近代的な工業の形態が成立したのは、産業革命をへた18世紀以降のことである。
| 1. | 酸とアルカリ工業の成立 |
イギリスの産業革命は、繊維工業をはじめとして機械設備を広く採用する大工場制を生みだし、冶金工業を発展させた。この過程で、繊維の漂白に必要な硫酸ソーダが大いに利用されるようになった。需要が拡大するようになると、硫黄を原料とする鉛室法(→ 硫酸)による硫酸製造、またルブラン法(→ ソルベー法)によるソーダ(炭酸ナトリウム)の工業的製造など、酸とアルカリといった基礎化学製品を製造する無機化学工業が急速に発展した。同時に、ガラス工業や石鹸工業などが発達したのもこの時代である。このような化学工業の発展は、18世紀末のラボワジェによる元素説の確立、ドルトンによる原子論の確立など、近代的な化学研究の展開と呼応する。
| 2. | 有機化学工業の成立と発展 |
産業革命は、一方で、製鉄業の発展をとおして石炭やコールタールなどを基礎とする有機化学工業の誕生をもたらした。19世紀半ばになると、広範な有機化合物が研究対象となり、ベンゼンの発見など、石炭の乾留から生じるタールの蒸留分別の成功が、それまでは廃棄物であったコールタールの工業的な有効利用を促進し、ドイツを中心に有機合成化学工業を大いに発展させた。
とくにこのタールの留分を出発点とする染料合成の成功は、それまでの鉛室法にかわる接触法(二酸化硫黄と酸素を直接反応させる)による硫酸製造法の開発が影響し、急速に天然染料を駆逐していった。以来、石炭化学は、医薬、火薬、合成繊維などの原料を生みだすことになる。
1880年代以降は、各地に発電所が建設され、食塩や金属塩(→ 塩)の電気分解、電熱を利用したカーバイド工業など、電気化学の諸分野が発展していく。さらにこの時期、農業の生産性向上によって、おもに窒素肥料の需要が増加し、化学肥料工業のめざましい発展をみた。
| 3. | 高分子化学工業の発展 |
20世紀初頭から第2次世界大戦にかけては、合成高分子工業が発展する時代である。戦争への準備、ブロック経済化への対応が、各国の経済的課題となり、天然資源を合成した材料にかえる必要があった。
| 3.A. | ドイツの化学工業 |
とくに植民地が少ないドイツは、国内の豊富な石炭を積極的に活用して、多くの資源を化学合成する必要があり、19世紀に生まれたタール化学工業をさらに発展させることになった。
それまで天然のチリ硝石(→ 硝石)に依存していた窒素を合成する技術、窒素肥料や火薬の新しい製法が開発されると、窒素化学工業やカーバイド・アセチレン工業が大きく発展していった。さらに、アセトン、酢酸、塩化ビニル、合成ゴム(→ ゴム)などが開発され、工業化したのもこの時期のことである。
| 3.B. | アメリカの化学工業 |
アメリカでは、1920年代に石油、天然ガスを原料とする化学工業がはじまっている。自動車の普及がガソリンを大量に必要としたところから、石油精製業が発達し、その工程で出る廃ガスの有効利用によって、アセトンの原料であるイソプロピルアルコール(→ アルコール)を生産する石油化学工業が発展していく。また、天然ガスからメタノールを合成する方法が開発されると、天然ガスを石油化学原料とすることが一般化した。30年代の石油化学工業は、それまでの中間工業材料の生産だけでなく、一般消費者を対象とする最終製品(合成洗剤など)の製造分野にも波及していった。
| 3.C. | 大型化する化学工業 |
このころに高分子化学工業によって生みだされた製品には、ポリスチレン、ポリエチレン、メタクリル樹脂(→ メタクリル酸)、塩化ビニル樹脂、ナイロン、ケイ素樹脂、フッ素樹脂(→ フッ素)などがある。化学工業が一段と大規模になっていったのもこの時期であり、ドイツのIG(イーゲー)、イギリスのICI、アメリカのデュポンなどの巨大企業が出現し、技術や市場への支配力を強化していった。とりわけナイロンの開発に成功したデュポンは、世界の化学工業界に確固たる地位をきずいた。
| 4. | 石油化学工業の発展 |
20世紀後半の化学工業では、第2次世界大戦中に軍事用として開発された技術が民生用に転用され、製造装置の大規模化が進展して、独占の支配がいっそう強化された。また、この時代には、合成高分子化学工業を中心とした有機合成化学工業が酸、アルカリ、肥料などを中心とした無機合成化学工業を圧倒的にうわまわり、原料資源が石炭から石油にほぼ完全に転換した。
触媒の研究がすすみ、これを利用した石油の改質技術が向上すると、従来はコールタールからつくられていた芳香族炭化水素が、石油から大量かつ安価に生産できるようになったため、石油化学工業の優位は確実なものになった。
石油資源にめぐまれないヨーロッパでは、戦後も石炭系の原料をつかって、さまざまな有機化学合成がおこなわれてきたが、1950年代には、石炭化学工業のリーダーだったドイツでさえ、石油化学に移行するようになった。こうした石油化学への転換は、化学工業と化学技術の主導権がドイツからアメリカへと移行したことを意味する。それと同時に、ポリスチレン、ポリエチレン、ポリプロピレンなど、素材化学工業部門におけるさまざまな高分子化合物が、多様な分野で用途を広げ、急成長をとげていくのである。
| 5. | 現代の化学工業 |
1970年代、2度の石油危機をへて、世界の化学工業の様相は大きく変化した。80年代には、原油価格の高騰によってコストが急上昇し、需要の伸びが大きく低下した。設備が大幅に過剰となり、アメリカ、ヨーロッパをはじめ日本などの先進工業国は、設備の廃棄を余儀なくされた。その結果、逆に過剰生産による原油価格の下落と、これにつづく低位安定によって、素材化学工業部門が安定成長するようになった。
| 5.A. | 高付加価値へ |
また、先進工業国では、ファイン化、スペシャリティー化(→ ファインケミカル)などの加工型化学工業部門の需要がのび、世界の主要な化学企業は、付加価値の高い加工型化学製品を中心とした新しい成長の時代に入る。
同時に、バイオテクノロジーに代表される分子レベルの研究がめざましく発展し、技術革新の波は、化学工業の生産体制を大きく変化させることになる。この事実は、新しい化学工業の登場を予見させ、従来の化学会社とは別の企業の参入がすすむと考えられる。
アメリカ、ヨーロッパの化学企業は、国内で寡占的体制を確立する一方、海外事業を積極的に拡大し、多国籍企業の地位を確保するようになった。1990年代に入ると、アメリカ、ヨーロッパ、および日本を中心とするアジアの3つの地域で、市場の統合化が進展する。これにともない、各国の化学企業は、世界市場で生きのこるために、海外事業を拡大する必要にせまられた。
| IV. | 日本の化学工業 |
| 1. | 明治の化学工業 |
日本の近代化学工業は、明治維新後にはじまる。
| 1.A. | 硫酸の製造 |
とりわけ、貨幣や紙幣の製造に必要な無機化学薬品を製造するため、外国技術の導入を促進し、官営の硫酸ソーダ工場が1872年(明治5年)に建設された。
この時代には、近代国家の軍事的必要から、軍工廠(こうしょう)における自給自足的な火薬などの製造が課題とされ、化学工業の重要な1部門とされた。
硫酸は、造幣以外にも、中国への輸出、過リン酸石灰(→ リン酸肥料)の製造用に利用され、農業の生産性向上に重要な役割をはたした。その後、化学肥料部門は、とくに大きく発展する傾向をしめし、化学肥料の利用で農業の生産力が増大し、工業部門の資本蓄積の源泉となっていった。
| 1.B. | 電力とカーバイド |
明治末期には、水力発電の開発がすすみ、その電力を利用したカーバイド(炭化カルシウム)の製造がはじめられたが、これから石灰窒素(カルシウムシアナミド)を製造する工場(日本窒素肥料:日窒、その後のチッソ)が熊本県の水俣市で稼働した。この工場は、石灰窒素を変成硫安(硫酸アンモニウム)にし、農業に絶大な市場をみいだして、第1次世界大戦で硫安の輸入がとだえたことも手つだって、膨大な利益を蓄積することになる。その後、日窒は新興財閥として、アンモニアや人絹工業へと進出することになる。一方、三井、三菱などの財閥系資本は、石炭をもとにしたコークス製造、都市ガス製造に進出し、明治30年代には、タール留分を原料とする有機化学工業に着手していった。
| 2. | 第1次世界大戦から第2次世界大戦までの化学工業 |
第1次世界大戦によって、おもな基礎化学製品をヨーロッパからの輸入に依存していた日本の化学工業は一変し、成長の方向にむかった。輸入が困難になった化学製品(おもに合成染料や医薬品など)の価格が急騰したため、政府はその国産化をめざして、ソーダ工業、タールの分留精製、電気化学の3業種を最重要部門として育成する政策をうちだした。しかし、それでも、ヨーロッパとの生産力格差はいちじるしいものがあり、供給がのびなやんだため、大戦中に染料の価格は約10倍、ソーダも7倍に達した。
第1次世界大戦後、1920年代には、ヨーロッパの化学工業製品の輸入が再開され、日本の染料、窒素、ソーダの各部門は、ヨーロッパの化学工業との競争に直面し、世界的大企業の市場支配にくるしめられた。
大恐慌以後、化学工業は、軍需産業的な性格が強いところから、政府のてあつい保護をうけながら発展した。とくに人絹工業の繁栄はいちじるしく、東南アジア市場を背景に生産は飛躍的にのびた。人絹工業は、新興の日窒、鈴木商店などによっておこされ、1930年代後半には、硫安とともに、世界で第1位の生産高になった。他方、旧財閥系も石炭コンビナートの建設をすすめ、35年(昭和10年)以降は、日窒、日曹、森、日産などの新興コンツェルンが中心になっていた化学肥料、アンモニア合成などの部門へも進出し、新興勢力を凌駕(りょうが)するほどに成長していった。
| 3. | 第2次世界大戦後の化学工業 |
第2次世界大戦で壊滅的な打撃をうけた日本の化学工業は、敗戦後、食料増産の必要から、肥料工業を最優先に復興する政策がとられた。朝鮮戦争を契機として、アメリカを中心とした多数の外国技術の導入を支えに、他の化学工業部門も急速に復活していった。
戦前にドイツやアメリカで誕生し、発展してきた高分子合成技術の導入によって、石油を原料とする合成繊維、合成ゴム、プラスチックなどの有機合成化学製品が大量に生産され、これらの部門がいちじるしく伸長していくと、しだいに化学肥料を中心とした無機化学製品をうわまわるようになる。
石油化学が登場する1955年以前には、電気化学、石炭化学、アンモニア合成などの部門が化学工業の中心であった。しかし、59年には、有機化学製品が市場の半数を占めるようになる。
| 4. | 日本の石油化学 |
日本の石油化学は、1955年の通産省(現、経済産業省)の省議決定「石油化学工業の育成対策」によってはじまった。
| 4.A. | 技術導入と大型化 |
高度経済成長の時代、日本の化学工業の基本方針は、キャッチアップとスケールアップという2つに象徴される。キャッチアップは、海外から先端の合成技術を導入することで、スケールアップは、生産規模を大型化することである。
キャッチアップは、大きな開発費と長期にわたる研究活動が要求される基礎研究を海外に依存することで、リスクを小さくできる。そこで発生する特許使用料などの費用は、設備を大型にし、先端のオートメーション技術を導入して、原単位(製品の単位量を製造するためのコスト)をさげることでおぎなっていく。
そのため、日本の石油化学工業は、技術水準よりも巨大な資本力を必要とするものだった。それは、いわゆる石油化学企業が、初期には三井や三菱などの旧財閥系から出ていることに象徴されている。
| 4.B. | 成長構造の破綻 |
この方針は、大きな国内市場を背景に、低価格の化学製品を大量に供給しながら、化学会社にも発展をもたらした。こうした経営が可能だったもうひとつの要因は、製品価格に比較して低価格だった原油にある。しかし高度成長期の末に、すでに生産設備が過剰であったうえ、出発原料の石油の価格が石油危機で一挙に4倍にはねあがり、壊滅的打撃をうける。
さらに高度経済成長期を通じて表面化していった公害問題は、国民に化学工業に対する大きな不信感を生みだした。しかも、敗訴した企業の賠償の負担も大きく経営を圧迫した。
| 5. | 日本の化学工業の現状 |
世界の化学工業生産のシェアをみると、1980年代後半、日本はアメリカについで世界第2位の化学工業大国となった。しかし、アメリカ、ヨーロッパの化学工業が国内で寡占的な体制を形成しているうえに事業の総合化、多角化、さらに多国籍化を実現しているのに対して、日本の化学工業は、従来から成長をつづける国内市場を背景に、アメリカやヨーロッパ諸国とは別に、各製品分野ごとに多数の企業が乱立する産業構造を形成してきた。しかも、素材型化学製品中心の生産構造は、付加価値の高い加工型化学製品生産を中心とする、アメリカやヨーロッパの化学企業に弱い立場を強いられることになる。
そこで日本の化学工業界では、過剰設備の縮小と再活性化にとりくみ、素材型化学部門の構造改善をすすめ、大手企業への集中を通じて、国際競争力を高める努力をおこなってきたのである。
1980年代末、海外企業との本格的な競争に直面した日本の化学工業は、生き残りをかけた事業の再構築が必要になる。そして、しだいに成長をとげてきた東南アジアなどのNIES(新興工業経済地域)やアメリカ、ヨーロッパとの相互依存関係が高まり、ボーダーレス化の様相を呈してきた。
それまで日本の化学工業は、アメリカやヨーロッパなどの先進国から加工型化学製品を輸入し、東南アジアを中心とする発展途上国に素材型化学製品を輸出するという基本的な産業構造にあった。アジアや南アメリカなどの新興諸国の発展もあり、生産体制、研究開発、工場立地などをふくむ、構造を転換する必要にせまられている。また、化学工業の歴史は公害・環境問題の歴史に重なる。地域や地球環境に配慮したさらなる展開がもとめられている。
→ 石油化学