検索ビュー 凱旋門

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凱旋門

古代ローマで軍事的勝利を記念するためにたてられた建造物。もっとも古い例は前2世紀にさかのぼる。ラテン語ではarcus triumphalisというが、共和政期にはfornixともいった。ローマでは凱旋式をおこなうとき、行列はローマ市外の「マルスの野」から凱旋門をとおり、ローマ市域にはいったが、この凱旋門は現在ローマ市にある凱旋門とは別のもので、それがどこにあったのか、またそれが常設のものであったのか、それとも凱旋式のたびに新たにたてられたのか、不明である。現在ローマ市をはじめ、イタリア、フランス、スペイン、北アフリカなどに約125例がのこっているとされるが、かつては帝国各地にたてられていた。

凱旋門建設の意味合いについては、たんなる戦勝記念だけでなく、たとえば現在ローマ市にあるティトゥス帝の凱旋門(後82)が、ユダヤ反乱に対する勝利の記念とともに、彼の神格化をおこなっているように、宗教的シンボル、有力貴族の顕彰(モニュメント)、あるいは国境の標識としてたてられる場合などがあり、とくに地方の凱旋門は、凱旋とは直接関係のないものが多い。形式としては、ティトゥス帝の凱旋門のような単一のアーチのほかに、いずれもローマ市にあるセプティミウス・セウェルス帝の凱旋門(後203)や、コンスタンティヌス1世の凱旋門(後315)のような三連アーチ、さらに北アフリカでよくみられる四面門の形式のものもある。

ルネサンスおよびバロックの時代には古代にならって仮設されることがあったが、のち新古典主義の時代にふたたびたてられるようになった。有名なものではベルリンのブランデンブルク門(1788~91)、パリのルーブル宮のカルーゼル凱旋門(1806)やエトワールの凱旋門(1806~36)、ロンドンのマーブル・アーチ(1828)などがある。アーチとボールト:新古典主義(美術)