| 検索ビュー | EU(ヨーロッパ連合) | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
European Unionの略称。ヨーロッパの政治・経済の統合をめざし、加盟国間の相互協力を強化する目的でつくられた超国家機関。日本では、欧州連合と表記されることが多い。
1993年11月1日、ヨーロッパ共同体(EC)に加盟する12カ国(ベルギー、デンマーク、フランス、ドイツ、イギリス、ギリシャ、アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、ポルトガル、スペイン)が批准したヨーロッパ連合条約(マーストリヒト条約)の発効により発足した。
その後、1995年1月にオーストリア、スウェーデン、フィンランドが加盟。2004年5月には、ポーランド、チェコ、ハンガリー、スロバキア、スロベニア、エストニア、ラトビア、リトアニア、マルタ、キプロスが、さらに07年1月にはブルガリア、ルーマニアが加盟し、加盟国は27カ国となった。本部はベルギーのブリュッセル。
| II. | 組織 |
EUの組織は、執行機関であるヨーロッパ委員会、おもな意思決定機関であるヨーロッパ連合理事会(閣僚理事会)、諮問・共同決定機関のヨーロッパ議会、EUの最高レベルの政策方針をきめるヨーロッパ理事会(首脳会議)、ヨーロッパ裁判所、そのほかヨーロッパ中央銀行、ヨーロッパ会計監査院、および、経済社会評議会や地域委員会などの評議機関がおもなものである。
EUの法律ならびに政策一般は、EU全体の利益を代表するヨーロッパ委員会、各加盟国を代表するヨーロッパ連合理事会、EU市民を代表するヨーロッパ議会の役割分担と相互協力によってきめられる。
以下に紹介する主要組織の内容は現行のもので、リスボン条約が発効すれば、いくつかの変更がおこなわれる(リスボン条約の内容については後述)。
| 1. | ヨーロッパ委員会 |
ヨーロッパ委員会(European Commission)は、基本条約であるマーストリヒト条約、その改定条約であるアムステルダム条約、ニース条約などをまもり、それを誠実に執行する機関で、委員は出身国政府の意向に左右されないで、EUの利益のためにだけ行動することが義務づけられている。
EUにおける法案発議権をもつ唯一の機関であり、政策案を作成し、ヨーロッパ連合理事会やヨーロッパ議会へ提出する。域外国や国際機関との経済関係においてはEUを代表する。また、EU共通政策の運営をにない、予算の歳出や各種計画を管理する。委員は27名(各国1名)で、加盟国政府間の合意とヨーロッパ議会の承認をえて選任され、各自が1つ以上の政策分野を担当する。任期は5年。委員長は2004年からジョゼ・マヌエル・バローゾがつとめている。
行政スタッフは約2万人おり、おもに、EU本部のあるブリュッセルおよびルクセンブルクにおかれている政策分野別の部局に配置されている。
| 2. | ヨーロッパ連合理事会(閣僚理事会) |
ヨーロッパ連合理事会(Council of the European Union)は、加盟国の一般経済政策の調整をはかるとともに、共通政策に関して、ヨーロッパ委員会の提案を承認、拒否、要請する。議題ごとに加盟国を代表する担当閣僚が出席する。EUの主要な立法機関であるが、近年はヨーロッパ議会と共同決定する分野がふえている。
基本条約の改正、共通政策の導入、新規加盟国の承認などについては、全会一致が必要だが、その他のほとんどの場合には、各国にわりふられた持ち票にもとづく特定多数決によって表決がおこなわれる。各国がもつ票数は、ドイツ、フランス、イタリア、イギリスの29票からマルタの3票まで国ごとにことなる。全票数は345票。特定多数決の成立には、255票(73.9%)以上、加盟国の過半数(ヨーロッパ委員会の提案によらない議題については3分の2以上)の国の賛成、賛成国の人口がEU全人口の62%以上、の3条件をみたす必要がある。
連合理事会は、加盟国が半年交代の輪番制で議長国をつとめ、加盟各国が派遣している大使で構成する常駐代表委員会によって補佐される。本部はブリュッセルにおかれているが、会議はルクセンブルクでもおこなわれている。
| 3. | ヨーロッパ理事会(首脳会議) |
ヨーロッパ理事会(European Council)は、1987年の単一ヨーロッパ議定書によって制度化された加盟国首脳会議のことで、加盟各国首脳およびヨーロッパ委員会の委員長で構成される。半年交代の輪番制となっている理事会議長国(ヨーロッパ連合理事会の議長国でもある)の首脳が議長をつとめる。ヨーロッパ理事会は6月と12月の開催が定例化され、臨時首脳会議をふくめると、通常年4回開催されている。マーストリヒト条約によって、EUの主要政策の方向をきめる機関としての地位があたえられ、ヨーロッパ連合理事会やヨーロッパ委員会で解決できない重要問題や国際政治問題を協議し、EUの将来の方向性を決定する。
| 4. | ヨーロッパ議会 |
ヨーロッパ議会(European Parliament)は、EU市民を代表して、立法過程の一部をにない、かつEUの活動に民主的統制をおこなう機関である。1979年以来、そのメンバーが加盟国市民の直接選挙によって選出されている。任期は5年。各国の議席は、それぞれの人口におおむね比例してさだめられており、2007年にブルガリアおよびルーマニアが加盟したことで、議席総数はニース条約(後述)に規定された上限の732をこえて785になった。
立法手続きには、3つの方法がある。第1は、1987年の単一ヨーロッパ議定書によって導入された「協力手続き」であり、ヨーロッパ議会はヨーロッパ委員会が提案する指令や規則に対して意見をのべる。ヨーロッパ委員会はその意見を参考にして、必要ならば修正する。
第2は、同じく1987年に導入された「同意手続き」であり、ヨーロッパ委員会が交渉した国際協定、EU拡大に関する提案、選挙規則の変更などについては、ヨーロッパ議会の承認が必要である。
第3は、マーストリヒト条約によって導入された「共同決定手続き」であり、労働者の自由移動、域内市場、教育、研究、環境、ヨーロッパ横断ネットワーク、健康、文化、消費者保護などについては、ヨーロッパ連合理事会と同等な立場で立法活動にあたる。この対象分野は、アムステルダム条約やニース条約によってさらに拡大された。
また、ヨーロッパ議会はヨーロッパ連合理事会とともにEU予算を検討し、予算案を拒否することもできる。ただし、EUの農業関連支出については、その大部分がヨーロッパ議会の権限外となっている。
ヨーロッパ委員会委員長ならびに委員の就任にあたっては、ヨーロッパ議会の承認が必要である。また、議員の3分の2の賛成をえて、ヨーロッパ委員会を総辞職させることもできる。会計監査院の報告を検討することとあわせて、ヨーロッパ議会は、EUの活動に民主的な統制をおこなう。
ヨーロッパ議会はフランスのストラスブールにおかれているが、議会内の委員会の活動は、おもにブリュッセルでおこなわれ、事務局はルクセンブルクにある。
| 5. | ヨーロッパ裁判所 |
ヨーロッパ裁判所(European Court of Justice)は、EU基本条約の解釈およびEU法の効力、解釈について判決をくだす機関である。加盟各国の最高裁判所の上位に位置づけられ、EU法(ローマ条約、マーストリヒト条約)にもとづいて審判をおこなう。各加盟国から1名任命される計27名の判事によって構成され、判事は8名の法務官によって補佐される。両者とも各加盟国の合意によって任命され、任期は6年(最長15年)。
ヨーロッパ裁判所は、加盟国が基本条約にともなう義務を履行しているかいなかを判断するもので、その決定は判例として、各国のEU法解釈に基準をあたえる。1989年から、法人や個人がEUの諸機関を提訴する案件や、EU諸機関どうしの争いをあつかう第1審裁判所がもうけられている。所在地はルクセンブルク。
| 6. | ヨーロッパ会計監査院 |
ヨーロッパ会計監査院(European Court of Auditors)は、歳入、歳出、財務管理について監査し、年次報告書をヨーロッパ連合理事会とヨーロッパ議会に提出する。委員は27名、任期は3年で、再任がみとめられている。委員はヨーロッパ議会への諮問をへてヨーロッパ連合理事会の全会一致で任命され、委員長は委員の互選により選出される。所在地はルクセンブルク。
| 7. | 評議機関 |
諮問的な役割をはたす機関であり、重要なものに経済社会評議会(European Economic and Social Committee)がある。
344名の評議員は、雇用主や労働者団体、消費者などの利益集団の代表者からなり、ヨーロッパ連合理事会によって任命され、任期は4年。評議会の役割は諮問的なものにかぎられるが、雇用、ヨーロッパ社会基金、職業訓練などに関するヨーロッパ委員会の提案は、ヨーロッパ連合理事会によって採択される前に、評議会に諮問されることになっている。経済社会評議会は、ブリュッセルにおかれている。
もうひとつの重要な機関は地域委員会(Committee of the Regions)で、EUを市民の身近なものとし、各地域の声を反映するためにマーストリヒト条約によってつくられた。任期は4年。各国の人口に比例した344名の代表からなる。立法機能はないが、地域の利害が関係する経済・社会問題については、諮問をうけることになっている。地域委員会は、ブリュッセルにおかれている。
| 8. | ヨーロッパ中央銀行 |
ヨーロッパ中央銀行(ECB:European Central Bank)は、EUの基本条約であるマーストリヒト条約およびその付属議定書であるヨーロッパ中央銀行法を根拠法として、ユーロ導入(1999年1月)を前にした1998年6月に設立された。物価安定のためのマネーサプライ政策を主要な任務としている。本部はドイツのフランクフルトアムマイン。
ヨーロッパ中央銀行の最高意思決定機関はヨーロッパ中央銀行理事会で、ヨーロッパ中央銀行役員会とユーロ参加国の中央銀行総裁から構成されている。ヨーロッパ中央銀行役員会は執行機関で、総裁・副総裁および4名の理事からなり、ヨーロッパ連合理事会がヨーロッパ議会やヨーロッパ中央銀行理事会との協議のうえ推薦し、ヨーロッパ理事会の合意で任命される(任期は8年で、再任は不可)。EU諸機関や各国政府からは高い独立が保障されている。
EU加盟国でユーロ不参加の国との金融政策の協調は、ヨーロッパ中央銀行総裁・副総裁とEU加盟国の中央銀行総裁によって構成される一般理事会でおこなわれている。
なお、EUの金融機関として別にヨーロッパ投資銀行(EIB:European Investment Bank。本部ルクセンブルク)がある。EUの前身であるEEC(ヨーロッパ経済共同体)の設立をきめたローマ条約の発効(1958年1月)と同時に加盟国の共同出資で設立された。現在はEUの目的にそった投資に資金を提供しており、資金の大半を資本市場で調達している。ヨーロッパ投資銀行債券の格付けは高い。
| III. | 歴史 |
第2次世界大戦はヨーロッパ経済を荒廃させた。その中で一部の人々は、西ヨーロッパの復興が統一ヨーロッパへの合意につながることを期待した。だがヨーロッパ統合の理想は冷戦の幕開けと、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)への根強い不信感によってはばまれた。
フランスの外相シューマンと文官ジャン・モネは、強力に経済的な動機付けをすれば、伝統的な独仏の敵対関係も棚上げになるだろうと考えた。1950年5月シューマンは、西ドイツとフランスの戦略的な産業である石炭や鉄鋼を管理する共同機構を設立し、ヨーロッパのほかの国々にも加盟の道を開いてはどうかと提案した。
この提案は西ドイツ、ベルギー、イタリア、ルクセンブルク、オランダに歓迎された。1951年この5カ国とフランスはパリ条約に調印し、52年7月にECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)が設立された。ECSCの超国家的な性質に反発したイギリスは参加しなかった。
1955年6月、ECSC加盟6カ国の外相は経済統合の拡大の可能性を検討することに合意した。その結果、57年3月ローマで2つの条約が締結され(ローマ条約。1958年1月発効)、すべての分野での経済統合をめざすヨーロッパ経済共同体(EEC)と原子力の共同開発と共同管理のためのEURATOM(ユーラトム:ヨーロッパ原子力共同体)が設立された。
| 1. | ヨーロッパ経済共同体(EEC) |
経済の分野でEEC条約は12年以上の間、域内の貿易障壁撤廃や域外諸国からの輸入品に対する共通関税の設定、そして農業を管理、援助する共通農業政策(CAP)を指導した。経済統合がすすむにつれてEECは超国家的な存在となっていったが、政治の分野では、EEC条約は各加盟国政府に対してECSC条約より大きな役割をあたえた。
EECに対抗して、イギリスをはじめとする非EEC7カ国が1960年にEFTA(エフタ:ヨーロッパ自由貿易連合)を設立した。EEC経済の成功が明らかになると、61年にイギリスはEEC加盟にむけての交渉を開始した。しかし、アメリカと距離をおく自立政策をすすめていたフランス大統領ド・ゴールは米英の密接なつながりを理由にイギリスのEEC加盟を拒否した。ド・ゴールは67年にもふたたびイギリスのEEC加盟をしりぞけた。
| 2. | ヨーロッパ共同体(EC)の発足と拡大 |
1967年7月1日、ヨーロッパ経済共同体(EEC)、ECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)、EURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)の執行機関を統合して単一の理事会と委員会を創設する条約(1965年調印)が発効し、3共同体をまとめたヨーロッパ共同体(EC)が発足した。翌68年には、工業製品に対する域内関税の撤廃を実現してEC関税同盟を完成し、共通農業政策(CAP)により農産物の価格を統一して農業共同市場を形成した。
1969年4月、ド・ゴールにかわってフランス大統領に就任したポンピドゥーは、EC内でのイニシアティブ獲得に積極的な態度をしめした。同年12月、ポンピドゥーの提案によりオランダのハーグでEC加盟国首脳会議が開催され、ECの財源に関する協定や、加盟国による対外政策協力の枠組み、イギリス、アイルランド、デンマーク、ノルウェーの加盟にむけての地盤づくりがなされた。
ほぼ2年にもおよぶ交渉の末1972年に加盟条約が調印され、73年1月1日、イギリス、アイルランド、デンマークがECに加盟した。ノルウェーは、条約調印後の国民投票でEC入りが否決された。
イギリスではEC加盟後も、加盟に反対する声があった。1974年に労働党が政権に復帰し、選挙公約であったEC加盟条件(とくに経済面)の再交渉を実施した。結果はわずかな変更にとどまったが、この間、ECは混迷の時期をすごした。内部で意見が対立したイギリス労働党政府はEC加盟の継続を承認する一方で、75年に国民投票をおこなった。一部の強い反対にもかかわらず、イギリス国民はEC加盟の継続を支持した。
1979~80年にイギリス政府は、自国のECへの貢献はその恩恵をはるかにこえるとして、ふたたび加盟条件の変更をはかった。80年春に一部の加盟国がEC経費の分担増大に同意したことで、この争いはようやく決着した。84年ECは、イギリスがECへの実質貢献分の一部を割り戻しとしてうけることに同意し、その年の割り戻しを8億ドルとした。
ギリシャは8年間の交渉ののち1981年にEC加盟、86年にはスペイン、ポルトガルが加盟して、ECは12カ国に拡大した。ほかに70~80年代の重要な発展としては、EC域内後進地域援助の拡大(とくに加盟諸国の旧植民地向け)、加盟国間の通貨取引を安定化させる目的のヨーロッパ通貨制度(EMS)の設立、域内の貿易障壁の撤廃と単一市場の確立へむけての進展などがある。
| 3. | ヨーロッパ通貨制度 |
ヨーロッパ通貨制度(EMS)は、1979年3月に経済通貨同盟(EMU)実現への第一歩として発足した。ヨーロッパ通貨制度は、各国通貨の交換比率に中心レートをさだめ、変動幅を一定の範囲にとどめる目的で提案された。その中心レートをきめるものとしてヨーロッパ通貨単位(ECU:エキュ)が導入された。ECUはEC各国の通貨からなり、構成比率は各国の経済力によって決定された。
ヨーロッパ通貨制度では各国通貨が上下2.25%とさだめられた変動幅をこえた場合、その国の中央銀行による市場への介入が義務づけられた。またヨーロッパ通貨制度は参加国が適切な段階をふんだ経済政策によって、為替相場の変動をさけることをさだめた。ヨーロッパ通貨制度はEC(ヨーロッパ共同体)域内のインフレ率の低下をたすけ、1980年代の世界的な為替変動のショックをやわらげた。
| 4. | 単一市場へむけて |
1980年代のヨーロッパ共同体(EC)のもっとも重要な発展は、単一市場の実現へむけての進歩である。単一市場計画は、85~95年にEC(EU)委員長をつとめたフランスのドロールによってすすめられた。85年6月、イタリアのミラノでのヨーロッパ理事会(EC首脳会議)の席上、EC委員会は加盟国間に残存する貿易障壁をほぼ全面的に撤廃する7カ年計画を提案した。首脳会議はこれを承認して92年12月31日を目標にヨーロッパ単一市場を達成することとし、EC改革に拍車をかけ、加盟国間の相互協力と統合をすすめた。
完全な経済統合への障害のひとつは共通農業政策(CAP)だった。共通農業政策は、域内農民の所得の保障や生産・流通機構の改善、農民の労働条件の向上を目的とするものであるが、1980年代を通じて共通農業政策への財政負担は年間のEC歳出の3分の2を占めていた(歳入は域外産品への輸入課徴金と加盟国が徴収する2%以下の付加価値税からなる)。
共通農業政策は一部の農産物の過剰生産を生み、過剰分の買い取りを義務づけられたECは、一部の加盟国の犠牲のもとで助成金を捻出(ねんしゅつ)せねばならなかった。そこで1988年の緊急首脳会議において助成金の制限が合意された。89年度予算では60年代以降ではじめて、農業助成金がECの全支出の60%以下におさえられた。
| 5. | 単一ヨーロッパ議定書 |
単一市場達成の計画にしたがい、最終期限までに貿易障壁撤廃にかかわる全問題を解決するには、EC(ヨーロッパ共同体)がもっと大きな力を必要としていることは明らかだった。
1987年7月に発効した単一ヨーロッパ議定書は、域内市場を「物、人、サービス、資本の自由な移動が保障された国境のない領域」と規定し、その完成を92年末に設定するとともに、57年のローマ条約以来はじめてEC機構に大改革をもたらした。なかでも、これまで全会一致制をとっていた理事会の議決の一部に特定多数決制を導入したことは、意思決定を迅速化し、単一市場へのプロセスの短縮につながった。
単一ヨーロッパ議定書はこのほかにも重要な改革をおこなった。単一市場への起動力となってきたヨーロッパ理事会は正式な地位をあたえられた。ヨーロッパ議会の影響力が拡大され、共通の政策・水準の適用の幅は税金や雇用・健康問題にまで広げられた。また個人および機関や企業がECの決定に対する抗議をもちこむ第1審裁判所がヨーロッパ裁判所にもうけられ、さらに各国は経済・通貨政策に関して、ヨーロッパ通貨制度(EMS)をモデルとしてほかの加盟国と協調することとなった。
| 6. | ヨーロッパの変化とEC |
通貨統合の支持者たちは、資金移転の各種規制や為替手数料が資本の自由な流れをさまたげているかぎり単一市場はありえないと考え、経済通貨同盟を達成するための3段階計画が提案された。同時にEC委員会は人権にかかわる社会憲章を提案した。
イギリスは、ヨーロッパ共同体(EC)の権力拡大は個々の国家の主権をおびやかすものだと主張して、この2つの提案に反対をとなえた。しかし結局イギリスは、ヨーロッパ全体がECの統合された迅速な対応を必要とする状況から、当初みおくっていたヨーロッパ為替相場メカニズム(ERM)への参加を決意した。
東ヨーロッパで社会主義が崩壊すると、かつての社会主義国の多くがECに政治的・経済的援助を期待するようになった。そうした国々に対しECは軍事援助や準加盟協定には合意したが、正式加盟はみとめなかった。1990年4月の緊急首脳会議で加盟がみとめられた東ドイツは唯一の例外で、東西ドイツ統合によって自動的にECの一員となった。
またこのときの会議では、急激な政治の変化の結果として、西ドイツとフランスがより緊密なヨーロッパの統合を追求する政府間協議(IGC)を提案した。これにより、通貨統合と政治協力の両分野で政府間協議がすすめられ、ヨーロッパ連合条約案が作成された。
| IV. | EUの発足と通貨統合 |
| 1. | ヨーロッパ連合条約(マーストリヒト条約) |
ヨーロッパ連合条約案は1991年12月オランダのマーストリヒトで開かれたヨーロッパ理事会に提出された。はげしい議論の末、92年2月7日、条約は最終的に調印された。この条約は各加盟国の国民投票による批准が発効の条件とされていた。各国の批准をへて、93年11月1日に条約は発効し、ここにEU(ヨーロッパ連合)が発足した。同条約は、調印された地にちなみ、マーストリヒト条約と通称されている。
条約によると、EUの目的は、経済通貨同盟(EMU)の設立、共通外交安全保障政策の実施、司法・内政領域での協力とされ、ヨーロッパ中央銀行の設立や単一通貨の導入がきめられたほか、加盟各国の市民にヨーロッパ市民権が付与された。これによって、EU各国の市民は域内の国々で生活し、はたらき、まなぶ自由が拡大され、国境管理も緩和された。
EUは1993年から域内市場を完全に統合し、アメリカをうわまわる人口約3億7000万の市場が登場した。このため282項目の統合措置が提案され、域内資本移動は自由化されたが、法人税の高いドイツとイギリス、フランス、イタリアとの調整が難航し、企業税制の統一はみおくられた。また人の移動に関しては、95年3月に発効したシェンゲン協定によって特定8カ国間ではあるが、国境がなくなった。
通貨の統一は、EUの政治統合の経済的前提をなしており、1994年1月マーストリヒト条約にもとづきヨーロッパ通貨機構(EMI)が発足した。そして95年12月のEU首脳会議で、99年1月に資本取引などから導入を予定している単一通貨の名称をユーロとすることを決定した。
EFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)は、1991年にEC(ヨーロッパ共同体)、EFTA間で物、サービス、資本の単一市場を生みだすヨーロッパ経済地域(EEA)の設立に合意、94年1月1日にヨーロッパ経済地域を発足させて、EU、EFTA間の貿易障壁を撤廃した。その後95年1月、EFTA加盟のオーストリア、フィンランド、スウェーデンがEFTAを脱退してEUに正式加盟した。
| 2. | 新EU条約(アムステルダム条約) |
1997年6月に開かれたEU首脳会議は、これまでのEU条約(マーストリヒト条約)を大幅に改定し、新EU条約(アムステルダム条約)を採択した。まず、EUの共通外交や安全保障政策はこれまで全会一致が原則とされてきたが、新条約は賛成国だけで実施義務をおい、棄権国は義務を免除される建設的棄権制を導入することによって意思決定に機動性をもたせた。
また、翌1998年早々に開始される中・東欧諸国との新規加盟交渉をにらんで、機構改革の手順をさだめた。さらに、条約の目的の中に高水準の雇用をくわえることや、労働条件などを規定する社会憲章を従来の条約付属文書から格上げして条約本体にくみいれることなどがきめられた。
この雇用や社会憲章を条約にくみいれたのは、新条約の採択に先だって同じく採択された財政安定協定(安定成長協定)が、通貨統合後の通貨の安定のために、各国の財政赤字が国内総生産(GDP)の3%をこえた場合、極端な景気後退を原因としていないかぎり制裁金を科すとしているのに対する各国の不安を解消するためであった。
この新EU条約(1999年5月発効)を前提に、EUは通貨統合と拡大にむけて本格的にうごきはじめた。
| 3. | ユーロの登場 |
1998年5月に、翌99年1月1日からはじまるユーロの参加国を正式にきめるヨーロッパ理事会(首脳会議)が開かれ、EU加盟15カ国のうち、当面参加をみおくったイギリス、デンマーク、スウェーデン、参加条件をみたせなかったギリシャをのぞく、11カ国が参加することになった。その後ギリシャは、2001年1月に参加し、ユーロ参加国は12カ国となった。
これによって、単一通貨ユーロが、1999年1月1日から資本取引や銀行間取引などでつかわれはじめ、2002年1月1日からは一般流通がはじまり、紙幣や硬貨が市中に出まわるようになった。ユーロを使用する人口は、当面でも約3億人となり、「大ユーロ圏」が誕生した。
1998年6月には、ヨーロッパ中央銀行も発足し、物価安定のためのマネーサプライ政策を中心に、ユーロの金融政策をになっている。
| V. | EUの拡大 |
| 1. | ニース条約 |
EUへの加盟申請は、トルコが1987年におこない、冷戦終結後の90年代になると、中・東欧諸国からの申請があいついだ。98年3月から、ハンガリー、ポーランド、エストニア、チェコ、スロベニア、キプロスの6カ国と、2000年2月からは、ルーマニア、スロバキア、ラトビア、リトアニア、ブルガリア、マルタの6カ国との加盟交渉が開始された。トルコは1999年12月のヨーロッパ理事会でようやく正式な候補国としてみとめられた。
2000年12月に南フランスのニースで開かれたヨーロッパ理事会では、加盟交渉中の12カ国をふくめた27カ国体制にそなえての機構改革問題が論じられ、EUの新基本条約となるニース条約の基本合意がなされた。ニース条約は、02年10月、アイルランドで2度目の国民投票により承認されてようやく全加盟国の批准が完了し、03年2月に発効した。おもな改定は次のとおりである。
(1)EUの行政を担当するヨーロッパ委員会の構成は、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、スペインから各2名、他の10カ国から1名ずつだったが、1国1委員とし、委員数の上限を27とする。
(2)特定多数決の対象分野拡張と票配分の改定。産業政策や、ヨーロッパ委員会の委員長・委員の任命などについても、一部条件付きで特定多数決を適用する。12の加盟候補国もふくめた新しい票の配分にあたっては、人口の規模をふまえたうえで小国に手厚い方向で修正された。このため、1票当たりの人口は国によって大きな差がある。また特定多数決の成立要件として、少なくともEU全人口の62%を代表していることが必要となった。これによって、ドイツの発言権が強まった。
(3)一部の加盟国が、先行して特定の分野について政策統合をおこなう方式(先行統合:closer cooperation)の発動要件が緩和された。従来は共同体事項および司法・内務協力分野においては、ヨーロッパ連合理事会の特定多数決で適用が承認されることになっていたが、8カ国の参加で成立するようになった。また、従来はこの承認に対し、1カ国でも拒否権を発動すれば、ヨーロッパ理事会の全会一致の合意が必要とされていたが、拒否権は廃止された。
さらに、共通外交安全保障政策の分野でもこの方式が適用されるようになったが、発動する場合にはヨーロッパ連合理事会の承認が必要で、拒否権ものこされた。また、発動された場合には、ヨーロッパ理事会の全会一致の承認が必要となる。
EUは独立国によって構成されているが、金融政策や出入国管理など参加各国の主権の一部は、EUの共通政策にゆだねられている。ニース条約は、EUの拡大にそなえ、その共通政策の決定をおこないやすくするために、多数決できめられる対象分野を拡大したのである。
| 2. | 10カ国の同時加盟を決定 |
2002年12月にコペンハーゲンで開かれたヨーロッパ理事会は、加盟交渉をおえた10カ国について04年5月の同時加盟を決定した。新加盟がきまったのは、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロベニアの中・東欧5カ国、エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国、地中海のマルタ、キプロスの2カ国である。
新規加盟10カ国は2003年4月アテネで開かれた首脳会議に参加し、加盟条約に調印した。候補国となっていたトルコについては、04年末に同国の人権や民主化の進展状況を判断したうえで交渉是非の判断をするとし、交渉中のルーマニアとブルガリアについては07年に加盟をうけいれるとの第2次東方拡大の方針を確認した。
| 3. | EU拡大の意義 |
2004年5月1日、各国での批准をへた10カ国の加盟が実現し、EUは25カ国、総人口約4億5000万人、域内総生産はアメリカに匹敵する9兆7310億ユーロ(2003年)におよぶ、巨大な地域統合機関となった。
この政治的意義は、はじめて旧東ヨーロッパ諸国が加盟したことによって、第2次世界大戦後の政治・経済体制の分断が完全に終結したことにある。1990年代初頭のあいつぐ社会主義諸国の体制崩壊をへて、ヨーロッパという共通意識のもとに、ヨーロッパのほとんど全域にわたる政治・経済・社会・安全保障の共同体が誕生した。財政政策は各国の主権にゆだねられており、公用語が20におよぶことなどにみられるように、各国の政治的平等や文化的自主性をたもつという方針はつらぬかれているが、今後、国家連合にとどまるか、連邦制を展望するかは、大きな課題である。
経済面に関しては、アメリカに匹敵する経済圏が成立したことにより、1992年末に完成した域内市場統合の効果が、いっそう大きくなると思われる。関税同盟の理論における貿易創出効果だけではなく、大市場がもたらす競争効果や規模の経済性による生産の増大が期待される。
さらに、労賃の安い新加盟国への直接投資が域内・外の企業によってなされ、一方で、低廉な労働力が域内先進国に移動する。既加盟15カ国は、旧社会主義諸国の東欧とバルトの8カ国に対し、2006年までの2年間、延長して最長5年間移民流入を制限できるが、過渡期をすぎれば、資源の最適配分が実現されていくだろう。
一方、域外に対しては、世界経済への影響力が増大したことである。経済力の増大は、通貨の強さになってあらわれるが、新加盟国も加盟要件がととのいしだい、ユーロに参加する予定である。ユーロがドルとならぶ力をもつことによって、アメリカがドル相場の下落を放置しにくくなり、財政規律に注意をはらうことが期待される。当面は、格差是正のための財政負担の増加などでユーロが弱まる局面も予想されるが、長期的にはこの拡大は、ヨーロッパ経済を強化するものになる。
トルコ加盟交渉は2005年10月から開始された。ただ、トルコについては、ヨーロッパなのかアジアなのかの地域的問題とともに、キリスト教を基盤としているEUとイスラム教の大国という社会・文化的問題が横たわっている。クロアチアとの交渉も05年10月にはじまった。
| 4. | 経済・社会政策の方向―リスボン戦略 |
拡大の見通しがつくと、地域共通のルールをどこまで充実するかというEUの深化が主要な課題となっていった。たとえば、経済・社会政策の方向として、2000年3月のリスボン特別ヨーロッパ理事会において、10年間の経済・社会政策の戦略的目標として、「より良い雇用のより多い創出とより強い社会的連帯を確保しつつ、持続的な経済発展を達成しうる、世界でもっとも競争力があり、かつ力強い知識経済の実現」がかかげられた。
これは「リスボン戦略」とよばれ、主として春のヨーロッパ理事会において、(1)知識経済・社会への移行準備、(2)健全な経済状況と良好な経済成長の維持、(3)ヨーロッパ社会モデルの改革を中心に具体的措置の設定、進捗(しんちょく)状況の検討がなされてきた。しかし、2004年におこなわれた中間評価で「現状では目標達成は困難」とされたことから、05年に見直しがおこなわれ、成長と雇用創出に重点をおいた新戦略がうちだされた。
| 5. | EU憲法の挫折 |
EUの拡大と深化がすすむ中で、その機構や運営を効率化する必要性は以前から認識されていたが、「ニース条約」では抜本的な改革をもりこめなかったとする反省があった。2001年12月、ブリュッセルのラーケン宮でおこなわれたヨーロッパ理事会(EU首脳会議)で、既存の諸条約を統合した憲法的文書の草案を作成するための諮問機関の創設がきまった(「ラーケン宣言」)。これをうけて、02年2月末にフランスのジスカール・デスタン元大統領を議長とした「ヨーロッパの将来に関する協議会(コンベンション)」が正式に発足し、EUと加盟国の権限区分や意思決定方式、機構改革など、今後のEUのあり方について検討が重ねられた。
2003年6月、コンベンションが起草したEU憲法条約(正式名称は「ヨーロッパのための憲法を制定する条約」)の草案はヨーロッパ理事会に提出され、政府間協議での修正をへて、04年6月ブリュッセルの首脳会議で採択された。
EU憲法条約では、段階的に形成されたEUの複雑な構造を整理し、法体系や立法手続きも簡素化の方向で見直しがはかられた。EUへの法人格の付与、EU外相ポスト、およびEU大統領にあたるヨーロッパ理事会常任議長ポストの創設などももりこまれた。しかし、従来の基本条約や改正条約、EU基本憲章などを統合するという課題をはたしたことで、その文書は膨大なものになった。また、「ヨーロッパの憲法」をうたい、EUの旗やEUの歌を規定するなど、EUの連邦国家的な方向性もうかがわせた。
調印式は、EEC(ヨーロッパ経済共同体)創設を規定したローマ条約(1957年)と同様、ローマで2004年10月におこなわれた。発効には全加盟国の批准が必要で、批准方法は国ごとの判断に一任された結果、ドイツやイタリアなど15カ国が国会承認、フランスやオランダ、イギリスなど10カ国が国民投票によることになった。05年2月、最初に国民投票を実施したスペインでは承認賛成が77%に達した。しかし、同年5月のフランス、6月のオランダの国民投票では、批准反対が過半数を占めた。
EU憲法の発効には全加盟国の批准が必要で、付則に5分の4が批准すれば首脳会議で次善の策を検討することができるとさだめられているが、EUの中核国であるフランスの否決は国民投票を予定している国に大きな影響をおよぼし、イギリスにつづいてデンマークやチェコ、ポルトガル、ポーランド、アイルランドが国民投票の先送りないし凍結を明らかにした。議会手続きによるスウェーデン、フィンランドも批准手続きの延期をきめた。
これらの状況から、2005年6月の首脳会議は、時間をかけてヨーロッパ市民の理解をえる必要があるとして、06年11月の発効予定を07年半ば以降に延長することで合意した。拡大にそなえてのEU憲法が大きくつまずき、今後のEUのあり方に対する見直しがせまられることになった。
| 6. | 27カ国体制に |
2004年の東方拡大の際に加盟が先送りにされたブルガリアとルーマニアが、予定どおり、07年1月1日に加盟をはたした。この第2次東方拡大でEUは27カ国となり、総人口も4億9000万人に達した。また、同日、スロベニアが中・東欧諸国ではじめてユーロを導入し、ユーロ圏も13カ国に拡大した。
しかし、ブルガリア、ルーマニア両国については、司法改革などの課題をのこしたままの加盟となったこと、既加盟国との経済格差が大きいことなどで不安もかかえている。経済力のある旧加盟15カ国の多くが中・東欧諸国からの労働者流入を規制し、これまで移民労働者に寛大だったイギリスも、新規加盟2カ国からの移民制限を表明した。
今後の拡大について、2006年12月に開かれた首脳会議は、ヨーロッパ委員会の提案をふまえ、EU内の体制の強化や加盟候補国に対する審査の厳格化などを条件とする新方針を出した。04年の拡大以来、新加盟国への多大な援助が負担となっており、拡大よりもEUの受け入れ能力を高めることが先決とする主張もある。加盟候補国として、トルコ、クロアチア、マケドニアがひかえているが、05年10月、クロアチアとともに加盟交渉がはじまったトルコについては、EU加盟国キプロスの承認を拒否していることから交渉が難航している。ほかに、アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビアが加盟をのぞんでいるが、実現の見通しは不明である。
なお、2007年12月、旧東欧圏を中心とする9カ国がシェンゲン協定に新規加盟し、出入国審査なしに自由に移動できるシェンゲン圏も東方に拡大して24カ国になった(うち、ノルウェーとアイスランドはEU未加盟)。また、08年1月にはキプロスとマルタがユーロを導入し、ユーロ圏は15カ国となった。
| 7. | リスボン条約 |
2007年3月、EUの出発点となったローマ条約締結50年を記念してベルリンで開かれた特別首脳会議で、09年のヨーロッパ議会選挙までに「EUの新たな共通基盤」を構築することをめざした「ベルリン宣言」が採択された。
2007年前半の議長国ドイツのメルケル首相は、EU憲法の簡素化・再生を提唱するフランス新大統領サルコジとともにEU改革プロセスの再始動にむけて積極的にうごき、同年6月、ブリュッセルでの首脳会議で、EU憲法条約の内容を下敷きにした新基本条約の作成に各国が合意した。新基本条約は、政府間協議での案文交渉をへて、10月、リスボンでの非公式首脳会議で最終合意され、「リスボン条約」とよばれることになった。12月、加盟27カ国の首脳がリスボンで条約に調印。09年1月の発効をめざして各国で批准手続きをすすめる。
「リスボン条約」の骨子は、(1)EUに法人格をあたえ、これまで3つの柱で構成されていた活動分野をひとつに統合する、(2)EUの大統領にあたるヨーロッパ理事会常任議長と、外相にあたる外務・安全保障政策上級代表のポストを新設する、(3)ヨーロッパ委員会の委員数は加盟国数の3分の2に削減する(2014年以降)、(4)ヨーロッパ議会の定数は750、国別配分は人口比にしたがい6~96議席とする、(5)ヨーロッパ連合理事会(閣僚理事会)の議決方式は、加盟国の55%以上、EU人口の65%以上の2条件をみたす二重多数決制に簡素化する(完全実施は2017年以降)、など。EUが将来30カ国以上になることを想定して、効率的な組織運営や外交力の強化などをめざしたEU憲法の制度上の改革を継承しているが、国家を連想させるシンボルなどにはふれず、憲法的なイメージは払拭(ふっしょく)された。
条約の批准については、EU憲法条約が国民投票で否決されて発効が頓挫(とんざ)した経験をふまえて、ほとんどの加盟国が議会手続きによる承認をめざしているが、アイルランドは憲法の規定により国民投票で批准の是非を問う。イギリスでも、国内世論を背景に野党が国民投票をもとめており、条約の発効には曲折も予想される。