| 検索ビュー | パラオ | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
西太平洋、フィリピンの東方約800kmの赤道付近にある共和国。正式国名はパラオ共和国。パラオ語では「ベラウ」。カロリン諸島のパラオ諸島を領域とする。200の島々からなり、総面積は488km²。人口は2万1093人(2008年推計)。首都はかつてコロール島のコロールだったが、2006年10月1日の独立記念日をもってバベルトゥーアプ島東部のマルキョクに移転した。
| II. | 国土と資源 |
パラオの島々は裾礁(きょしょう:→ サンゴ礁)にかこまれている。南北160km以上、東西約30kmの海域に点在する群島のうち、比較的大きな9島に人がすむ。最大のバベルトゥーアプ島は、面積409km²余りで、コロール島と橋でむすばれている。そのほかにアンガウル島、カヤンゲル島、ペリリュー島などに人がすむ。
規模の大きな島々は火山性で、肥沃(ひよく)な土壌と豊かな水にめぐまれている。南端の小さな島々は、サンゴが隆起してできたものである。気候は熱帯性(→ 熱帯気候)で高温多湿。季節の変化はほとんどなく、年平均気温は27.5°C、年降水量は3800mmに達する。魚類など海洋生物は豊富だが、陸生の動物はほとんどみられない。
| III. | 住民 |
パラオの人口2万人のうち、3000人ほどは国外からの労働者で、その大半はフィリピン人である。人口の約65%が集中するコロール島は、島全体が都市化されている。ほかの住民は8つの島の小さな村落に分散してすむ。住民の大半はミクロネシア諸語(→ オーストロネシア語族)の一種であるパラオ語を話し、英語ももちいる(いずれも公用語)。住居や衣服はおおむねヨーロッパ風で、自動車や船外発動機をはじめ多様な消費財が日本から輸入されている。食糧の大部分は輸入にたよっている。
大部分がキリスト教徒で、国民の40%がカトリック教会、25%がプロテスタント各派の信者である。「モデクゲイ」とよばれるパラオ固有の宗教を信仰する住民もいる。義務教育は6~14歳(2000年)で、教育費は無償。高校は公立校が1校、教会系の私立校が多数ある。大学はないが、ミクロネシア職業訓練校が1969年に創立された。
日本が統治した時代(1914~44)にコロール島に南洋神社がたてられ、ペリリュー島やアンガウル島に今も神社(再建)がのこっている。コロール島には植物園やパラオ博物館がある。
| IV. | 経済 |
パラオの経済活動は、おもに自給的な農業と漁業で、観光業も大きな位置を占めるようになった。産業基盤の整備はおくれているが、日本や台湾の投資家に注目されている。漁業や観光関係の事業は、外国資本によるものが大部分である。シーフード、コプラ、手工芸品などが輸出されるが、輸出額は大きくなく、国民の生活は日本やアメリカからの輸入に依存している。基本通貨は米ドル。
第2次世界大戦以後、パラオ経済はアメリカに依存してきた。1994年にはアメリカからの援助が3500万ドルをこえ、日本も1000万ドル援助している。94年の独立時にアメリカとむすんだ自由連合協定(コンパクト)により、アメリカから財政援助をうけながら安全保障もゆだねることになった。アメリカは2009年までの15年間に総額約5億4000万ドルの経済援助をおこなうことになっている。
約6000人の賃金労働者のうち、半数は政府に雇用されている。フィリピン人労働者の多くが、建設や観光業、家庭の使用人など低賃金の仕事につき、1000人以上がアメリカ軍人としてはたらいている。
パラオには日本やアメリカからの貨物船が頻繁に来港する。空港は3つで、最大のパラオ国際空港はバベルトゥーアプ島にある。バベルトゥーアプ島には唯一の国内線航空会社パラダイス・エアーがあり、ペリリュー島やアンガウル島まで定期便が就航している。国外へはグアム、日本、マニラ、台北への便がある。公共の輸送機関はなく、道路の舗装状態もよくない。
ラジオ局は公共FM放送のほか、FM放送が数局あり、エフエム東京などの協力でできたエコパラダイスFMもある。民間テレビ局は1局で、ケーブルテレビジョンもある。新聞は英字紙で週刊の「ティア・ベラウ」、週2回刊の「パラオ・ホライズン」などが発行されている。
| V. | 政治 |
パラオの政体はアメリカの制度を模した大統領制がしかれ、大統領は4年任期で、最高2期までつとめることができる。ほかに副大統領1名と閣僚8名がいる。パラオ議会は二院制、議員定数は上院9名、下院16名で、議員は4年ごとに改選される。裁判官の任期は無制限で、議会の承認をへて大統領が任命する。2人の最高部族長に対し、国政に助言する権利があたえられている。
| VI. | 歴史 |
最初の住民は、3000~4000年ほど前に東南アジアの島々からやってきた移住者と考えられる。1710年にスペイン人が、ヨーロッパ人としてはじめてパラオに上陸した。83年にイギリス船がパラオ沖で難破し、ヨーロッパの病気がそれに免疫のないパラオ住民に伝染したため、5万人いた人口が約5000人にまで減少している。1899年にドイツがスペインから買収、統治したが、第1次世界大戦中の1914年に日本軍が占領、第1次世界大戦後は、国際連盟の委任統治領(→ 南洋委任統治領)として日本が統治。日本はコロール島にミクロネシア地域の司令部をおき、コロール島を都市化するとともに、南洋神社をたて、日本から1万人をこえる植民者をおくった。このため日本人と朝鮮人労働者が、数のうえでパラオ人をうわまわるようになった。第2次世界大戦中の44年、アメリカ海軍が侵攻し、激戦がくりひろげられた。
大戦後、日本が統治していたミクロネシアの島々のほとんどがアメリカ領になり、パラオも1947年に、国際連合(国連)の信託統治領太平洋諸島(→ 信託統治)としてアメリカの支配下におかれた。この間に民主制度とアメリカ式教育が導入されたが、経済的な成長はほとんどみられなかった。
1993年11月の住民投票の結果、アメリカと自由連合協定をむすんで独立国家となることが承認され、94年10月1日、独立を宣言した。自由連合協定でパラオ政府は防衛以外の内政と外交をおこない、アメリカ政府は防衛上の責任をおい、軍事基地などもひきつづき維持している。この協定では、パラオ人がアメリカ国内で居住、就労する自由をみとめている。94年12月15日、パラオは国連に加盟した。日本とはこの年の11月に外交関係を再開、日本からの無償資金協力や技術協力は2004年度までに累計で約186億円に達した。1999年12月には台湾と外交関係を樹立している。
2000年11月の大統領選挙では、1993年からつとめていた日系のクニオ・ナカムラ大統領にかわって、トミー・レメンゲサウ副大統領が選出された。翌年1月に就任したレメンゲサウ大統領は、税制改革や海外投資促進によって経済活性化をはかろうとしたが、政権基盤が弱く成果をあげることはできなかった。しかし、2004年の大統領選挙で再選され、翌年1月に2期目に入った。レメンゲサウ大統領は、アメリカの財政援助が終了する09年までに経済的自立を達成する、という国家目標に道筋をつけなければならない。現在、アメリカへの財政依存度は40%にもなっており、行政改革や財政改革によって政府の効率化をはかり、観光開発や海外投資を促進して産業を育成するなど、多角的に財政収入をふやす政策がもとめられている。