公民権運動
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公民権運動
II. 人種隔離制度のはじまり

人種隔離制度とは、生活の全領域で両人種を分離することによって奴隷制廃止後の社会秩序を確立し、黒人への優越をまもろうとする南部白人の試みをさす。1820年代に成立したミンストレル・ショーに登場するステレオタイプ化された愚鈍な黒人奴隷にちなんでジム・クロー制度ともよばれ、南北戦争(1861~65)につづく再建期が77年に終了した後、南部諸州に広がった。

再建期に黒人、北部人、一部の南部人が南部諸州で運営した共和党政府が、一連の黒人解放立法を制定した。しかし、1877年までに民主党が南部諸州の支配権を奪回、クー・クラックス・クラン(KKK)によるテロや暴力を背景に人種隔離にのりだした。その後、80年以上にわたり、学校、交通機関、食堂、公園などあらゆる施設での人種隔離が州法や地方自治体条例によって強制された。

人種隔離制度は政治分野にもおよび、憲法修正第15条(1870年発効)で保障された黒人選挙権の剥奪(はくだつ)が進行した。1890~1910年、南部諸州では財産査定額、納税額、識字テストの結果などを理由に黒人の投票権が大幅に制限された。政治参加の制限と公然たるリンチや暴力により、黒人は南部社会での劣等的地位を強いられた。

1910年まで北部にすむ黒人は黒人総人口の1割にすぎず、第2次世界大戦(1939~45)前は西部にすむ黒人もわずかだった。北部では黒人投票権はおおむねみとめられ、人種隔離制度も一般化していなかったが、就業上の差別や人種偏見はきびしく、新移民との競争ではたいていやぶれた。